狂信と哲学

「推しは宗教」現代における宗教は娯楽で、じゃあ現場は実家だと思う。

○手紙について

1回やってみたかったんだな〜

お題「推しへのお手紙についての質問」

 

 

2023年7月、町は猛暑と当落で阿鼻叫喚、僕はバンドのオタクをしている。

多分バンドのオタクにしては珍しく毎公演ファンレターを書いているのだが、元々これは若手俳優のオタクから受け継いだ文化なのだ

ってことで若俳オタの通る道を踏襲してみると、いうことだ。

5月から書き始めてはいたんだけどまあ案の定長文になったので7月に公開、前半とか書いた記憶ないですわ。

 

 

書いた理由は

・オリジナル便箋を早く消費したいので貰ってくれる人を募集したい

・2023年度中に京都で手紙展をやるのですが、そこで書き下ろしファンレター(?)を公開するので来てねっていう宣伝。ファン歴を振り返る予定です、多分。来れない人も多いと思うので行きたかったです〜って連絡をお題箱に投げといてください、それ見てホクホクしてます。

の2点です。15000🈑とかになったので最後に置いても読んでくれないわということで最初に宣伝しておきます。

 

※便宜上「推しくん」とか「現場」とか書く(呼びかけてるみたくなるから固有名詞の名前書きたくない)けれど、これは別段バンドのアイドル化を助長させるものではない

 

〇ゲロ長ぇ〜目次

 

 

◎初めての手紙を書くきっかけは何でしたか?

あれは忘れもしない2019年6月2日…というのは流石にメモ見ないと忘れているが、私が初めてハンブレッダーズのライブに行った日、あまりのかっこよさに腰が抜けて帰りの電車で1通目のファンレターの文面をしたためたのを覚えている。

元々知り合いが若手俳優のオタクをしていて、ファンレ書きまくった結果爆レス貰ってハッピーという話を聞いており、別に認知はされたくないけど公演の感想を書いて渡すの楽しそうだな〜と思っていたのでこの機に…!と思ったのが始まり。その頃は確かYouTuberのオタクをしていたから配信でお金飛ばすくらいしかオタ活・推仕事っぽいことがなくて、いわゆる現場みたいなのがなかったからいつかやってみたいな〜と思ってたんだよな。

ブレちゃんを知ったのもYouTubeアルゴリズムのおかげだと思うので感謝感謝、感謝のプレミアム(カキーン)

 


◎手紙を書くのはどんなときですか?

基本毎公演分、公演が終わった後にその日の感想を下書きする。この時はまだツイートくらい砕けた文体だし、手紙に書けないな…失礼すぎるな…って思った内容はライブ後に(ネットに晒しても良い程度に文面を書き換えて)ツイートする。

そして次に行くライブの、前日に前回の感想を清書するようにして(全然達成できてない目標…泣、現実は当日の移動時間に執筆)、開場前にカフェとか入って写経。

時間が厳しかったりあまりに衝撃が大きすぎて上手く言語化できなかった時は次回以降に回してる、でも必ず公演行った分だけ書く。こないだライブ履歴見返してたら全然サボってる回数多かったわ。まあコロナの時ライブ行っても手紙書けなかったからその分だと思えばいいか。

写経してる時は字数多すぎてもう二度と書くかって思うんだけど、ライブが終わると思い出に残そうと思って感想メモ書いてるし、ライブ行く前はファンレ書きたくなるんだよねぇ…

ここで一句

「さようならこれが最後のファンレター」

と書くまで諭吉はいくつ消えるか

 


◎推し以外の人に書くことはありますか?それはどんな時ですか?

最初は別メンバーにもチョロっと書いてたけどある時から推しにしか書かなくなってた、あれおかしいな。

推し:ドラムの人に向けてだと歌詞考察とか書いてもあんま興味無いだろうから、そういう意味でまた書きたい気持ちはあるな〜(でもここのブログ記事にして満足しちゃうんだよな)

 


◎今まで何通書きましたか?また1年でどのくらい書きますか?

数えたら40通くらい出してて泣きそうになりました、キショオタすぎる…涙

「おっかけ始め→メジャデ→コロナ禍(手紙が出せなくなる)→手紙解禁→今」で4年間、実質コロナ前後の2年しか出してないのに…えぇっ…(引)

手紙送った数は現場の数とイコールなので送った分は行ったライブの数なんだけれど…えっ1年に20…も現場通ってるかなぁ、行ってるんだろうなぁ覚えてないだけで

ワンマンツアーと夏フェスの時期は沢山行くからそれで増えてるのかもな。ちなみにカウントダウン系列の夏フェスは物販スタッフがバンドスタッフとまた別なのでプレゼント差し入れ手紙などなどを受け取ってくれないので皆々様におかれましてはご注意を…って話は別にええか。誰もいちいちバンドにプレゼントあげねンだよな

 


◎どういう方法で出しますか?

ライブ後の物販で物販スタッフさんにお願いしてる。末端の人だと手紙お願いしまーすって言っても「えっ…と、少々お待ちください!」ってお偉いさんに聞きに行かれるんですけど、根気よく待ってれば受け取ってくれるので不安にならなくて大丈夫です(多分)。

事務所に郵送でもいいんだけど、メンバーの方々が上京してなかった時は事務所と居住地が遠くてすぐ手元に行かないだろうなあとかでこのスタイルに。今郵送する時、私はトイズファクトリーの渋谷の方に送ってるけど、ソニー千代田区の方に出しても届くみたい。月に数回渋谷の方で打ち合わせがあるから〜みたいな話をしていたことがあるから、トイズの方が手元に早く届きそうって気持ちでそっちに送ってる。あと普通にトイズファクトリーさん拾ってくれてありがとうございますの気持ち、媚びを売っています、人気ですよ!!!っていう表明。

 

昔六本木のシアターEX?でフェスだか対バンだかしてた時に、物販の隣にプレゼントボックスが置かれてた時があって、それはめちゃくちゃテンション上がったな…プレボを俺の推し宛の物で満杯にしたい…(それはそれとして持って帰るの大変そう)(結局その日は手紙出してなかったからまだ人生でプレボ使ったことない)

プレボの方がスタッフさんあわあわがなくて楽だからそういう意味では置いて欲しいけど、でもメンバー間とかヲタク間で争いたくないので置いて欲しくないって気持ちもある、そこまで殺伐とした界隈ではありませんが

なんか全然米とかあげたいよね それかむっちゃ派手な洋服あげたい、着る勇気が無いって言ってたから そういう奴は持ってても着ないけどよ

 


◎下書きは作成しますか?する場合どのように作成しますか?

ゴリゴリ下書き作成してるし今まで出したやつ全部保存してる。字数カウントできるメモ帳で字数見ながら書いてて、最初は1000字前後になるようにどの話題書くか調整してたけど最近は思いつくまま書いて1500字とかになってる。

送ったものと手元のメモが一字一句同じ文面になるように、写経してる途中で文面変えたら必ずメモ帳の方も直してる。

今まで80000文字とか書いてますね 気持ち悪いですねこのヲタク、泣けます でも送るんです意味わからないです

 


◎便箋何枚くらい書きますか?また便箋はどのようなものですか?

1000字3枚基準で書いてたけど、ギチギチに文字詰めれば1500もイける(多分)。読みづらいしパッと見の絵面があまりにキショオタクなのでやめたい(やめない)(やめられない)

便箋はホールマークさんのエンボスだのラメだのが入ったやつを使うことが多い、他のちまちました会社のやつも使うけどね(最近紙質が変わってホールマークさんばっかりって訳にもいかなくなっちゃった!)。ロフトとか文房具屋に寄る度にパトロールして気に入ったデザインのものを買ってる。気に入ったデザインのは全部買う!って感じだけど、求めるデザインのハードルが高いのでこのくらいのスタンスで消費量とも釣り合いが取れてる。

音楽モチーフとか銀河モチーフのがあれば、それをバンドとか楽曲観とかに合ってるなと思って選んでる。こないだ推しの誕生花っぽいイラストのやつがあったからラッキーと思って即買った。

メディア露出が若干増えてから感想の量が爆増して便箋が追いつかなくなったから、なんかもうデザインとか言ってらんなくなって枚数沢山入ってるやつに移行しよか〜と企んでいる最中です。

 

あとねこちやん系ですね 推しが猫派なので

せめてヲタクのきっっもちわりぃ手紙で嫌な思いをしないように猫ちゃんグッズでhis majesty(人称代名詞)の機嫌を取ろうとしています(大人しく推しって書けばよかったな)。

 


◎便箋や封筒、筆記具などへのこだわりはありますか?

大ありでございます。

封筒は3人時代に発注したスリーピースデザインのオリジナル箔押しのものをずっと使ってるんだけど、如何せんもう1人加入しちゃってその人がデザインされてないの申し訳なさすぎるのでさっさと消費したい(あと50枚はある)(お願い貰ってフォロワー…泣)(フォロワーじゃなくても押し付けてる)

 

市販のレターセットは封筒1枚便箋2枚がデフォとかいう文筆オタクに優しくない仕様なので使ったことない、必ず封筒と便箋は別々で買ってる。

筆記具は主に万年筆、最近はPILOT kakuno×Parker Quink Blueだけど、昔はSAILOR レクル×SAILOR インク工房123番とか使ってた気がする。うっすら分かるように文房具オタクをしていた時期があるので、折角の使う機会だ〜と思ってここぞとばかりに使っている。でもこないだ遠征先で万年筆のインク切れて痛い目みたのでその時用のかわゆカラーのボールペンを買いました。

(これだ!かわいいねぇ→https://www.craypas.co.jp/press/notice/sa_pre_0200.html)

 


◎誤字はどうしてますか?

メモ帳を写経してるだけなので基本誤字しない…がそれでもした時は

①誤字ったのがバレないような文章を考える

②隣に小さく入れ込む

③全部一から書き直し

とかかな?いわゆる毛虫は使ってない、僕個人としては読んでて気が散るかなと思うので。

昔の気合い入ってた時代の私は「誤字!?許せん!全部書き直しじゃ!!」って③をやってたけど、最近のぬるくなった私は「まあ極端に読めない訳じゃないしいいよね〜」ともっぱら①②です。

自分は写経だからミスしないと思ってるけど、前それを話した友達からは驚かれたので(その子書道やってるけどな)、普通に珍しいのかもしれない。直近の記憶だと3公演に1箇所くらいだと思うな。4500文字に1~2文字?

 


◎どんなときに文章を考えますか?

ライブ中にあれ書こう!とかあれツイートしよう!とか覚えておこう!ってのは片隅に起きながら見てはいて、ライブ後にそれらの書くことを箇条書き、次のライブ前に清書。だからまあライブ前の移動時間とか前日の用意の中で考えてる時がメインかな。

ライブ後1週間くらいはあれ書こう!って即メモすることがあるけどそれ以降はそんな精細に思い出しはしなくて、メモを頼りに思い出してって清書って感じ。ライブが無い時にツイートとかファンクラブコンテンツについて書きたくなった時も箇条書きのとこにメモしとくだけで成文化はしない、話の流れとかも清書の時に全部まとめてるな。

 


◎文章はどうやって組み立てますか?

メモの時点だと乱雑な文体だからまずそこらへんを丁寧にする作業がある。

「どちゃくそよかった」→「とても素敵」

「〜ってとこあった」→「〜という場面が印象的で覚えています」

とか。

でも「めちゃめちゃ」とかは熱さが伝わるかなと思ってそのまま使う語彙だな。

昔の手紙(の文章)を見返してみると、とにかく丁寧に丁寧に…と危惧しまくって「〜と思いました。」「〜です。」とか羅列する感じの文章でめっちゃカタい感じ。ねぇ君複文知らないよね?今はなんというか、推し君に対して少し失礼な態度を取る自分を許すことが出来るようになっていて、少しフランクな感じがでてきてもっと人間味溢れた感情豊かな文章がかけているはず。ま〜じで怖いオタクだったなほんまに(ねぇ、今もだよ🎶)(ミチゲッタ〜‼️)

 


◎文章の作成において大事にしていることやこだわりは何ですか?

当初は「失礼のないように…私情を書かないように…向こうは俺の事なんて興味ないんだから…」が最優先だったんだけど、今は別にどうでもよくなってヤッホーみたいなテンション感で書いている気がする、ですます体ではあるんだけども。

↑こういう、「(完全な文章)、(補足文)。」(←この「、」って別に「。」でもいい)って書き方は特徴的かも。これもやっぱり気持ち的には最近の、フランクな文章寄りだなと思っている。

 

なんだっけ文章作成において大切にしてることか。最初に主題を置いてから良かったところを語るとか、とにかく内容が分かりやすいように心がけてはいるかも(これ別に手紙に限らず文章作成全般においてそうだけどね)。日本語主語なくなりがちじゃんね、だからそこ気をつけるとか、逆に主語抜かなくてもファンレターだから動作主は推しって分かるんだけど(〜さんのこの仕草が)みたいにわざと入れて、“あたしゃあんたのことが大好きなのよ”感を出しているというのはあるかも。この愛を伝えている人がイコール僕であると伝える必要はないけれど、貴方を愛している人がこの世に確実に存在していることは絶対に主張しなければならないので、それはもう爆裂に褒めちぎるし、これおめーのことだよ!って意味で名前は結構書くかもな。

 


◎手紙の内容はどんな雰囲気ですか?

最近は結構フランクな感じ、ちょっとツイッターの文面に近づいてきたのかもしれない。ぼくすこし絵かけるpersonなので「👍」「💪」とかは書面でも使う(ようになった)し、(カッコの中に感情入れるやつとか)、「〜」も「…」とか「…涙」「笑」も使うようになった!(「!」もだな)

やっぱ多少は失礼(ってか愉快な野郎)になってんな

むしろこれらが無かったコロナ前の文章死ぬほど怖すぎる、ごめん推し君

 

あと一文がやっぱ長くなってしまう傾向はあるかもしれない。

「(譲歩文)ですが、(理由文)なので、(主文)。」みたいな句点とか並びですっと読める文章にしているつもりですが、まぁ長いことには変わりないんだなぁこれが。

人当たりとして外面は明るいけどどこか暗さもあって…みたいな人格像が見えるんじゃないかなぁと思ったり。実物はというとぜーんぜん突飛な、人の形をした化け物ですけどね

 


◎書かないようにしていることはありますか?

手紙には褒めることしか書かないので、あまりに直接的すぎる要求とかは書かないかな?

○○して欲しいな〜って内容は、「もしするなら○○とか良いと思います」みたいにぼかして書くことはあった。

あと公演中のミスとか?MCで触れられたりしなかったら書かないな〜

この信念のおかげで「本番中ミスったとこをその後の場面でメンバーに詰められて、目線のやり場に困った推しと目があって(幻想)爆沸きしたエピソード」はお蔵入りになりました。こっち見んな、嬉しくなっちゃう(自分が嫌だ)から

 

ミスって苦い顔してるのを「あそこ納得いかなかったんだろうな〜」って称して触れたことはあるな、別に俺は良いと思いましたけどスタンスというか大肯定する感じはやっぱり残しつつね。

 


◎手紙にしか書かないことはありますか?

結構あるかも〜

こういうグッズ出して欲しいとかこういうセトリ良くねとかの要望系は、なんとなく他のファンから見えない方が良いかな(読んでる保証も参考にした確証も別にないけど)と思って手紙には書くけどツイートはしないな。

ぽえみ〜な感じの文を書くことがあるんだけど、そういう程よく内省的な文章は伝えたいなと思うことだったら手紙に書く。逆に内省的すぎるやつはツイッターにしか書かん。

手紙の語りかけるような感じというか、あなたにしか見せませんよって感じがそうさせているのかもしれない。だから内容的にはツイート位の軽い内容でも語りかける感じが強いやつは手紙行きになってるかもしれない。ツイッターのしかも表垢で@も付けずに語りかけててもただのキショオタクだしもう昔ほどエゴサしないだろうからね。

 


◎ダメ出しなど、何か指摘することはありますか?

ないねぇ…演奏に関しては別に向こうが圧倒的プロなので言うことないし、ミスっても別に人間だからそらあるし、何か支障が出る程のミスではないし(それってよく考えたら凄いのでは?)。

舞台上の振る舞いに関してなら素人が多少言えることはあれど、俺は冷徹な顔をした推しも楽しそうな推しもどちらも好きなので無理に笑顔にならなくていいと思ってるし別に言うことはない。たまたま望む行動に近いことをした時にすげぇ良かった次する時があったらこうしてよって書けばいいだけで、たまたま個人的に良くなかった日にああしろしってダメ出しすることはないね。

(あでも大昔インスタのDMで1回だけ苦言呈したことあるわ…あの後インスタの垢消えてすっげぇ悲しかったの覚えてる…俺のせいなのかは永遠に分からないけど)

 


◎便箋一枚目の最初に「○○さんへ」「Dear ○○」など書きますか?

いいえ〜

宛名は封筒に「(グループ名)○○様」とだけ。本文ではめっちゃ名前呼ぶのにフシギダネ

 

フォロワーに手紙書く時は「○○ちゃん/くん/様」などなど最初に書くから、むしろ書かないの推しだけな気がするな、なんでやろ。Vの会社みたく個人情報書いてある封筒は覗いて渡されてるなんてこともないだろうから、誰宛に書いてるかは明白だろ…っていうのがある。手紙の最初は名乗ってるし尚更書かないね

 

 

◎手紙本文の最初で名乗りますか?

はい!

ファンレター送りたての時からこうしてたからそれが続いてるだけなんだけど、よく考えたら昔は絶対認知するな厨だったはずなんだよな…

 

ここらへんははてブのファンレターに関する記事を読みまくって辿り着いた形式だったはず。

Dearを最初に書かないのも、そういえばどなたかのブログで書かんでも分かるやんって意見を見たからそのようにしたっていう経緯。

 

封筒もそうだけど最初に誰が書いてるか分かれば「あっこいつからの手紙か読まんとこ」って選別出来るからそういう意図もあったのかもしれない、初期の俺は無茶苦茶卑下するからな

(今でも別に読むなとは思っているが諦めの境地に来た)

 


◎手紙では推しを何と呼んでいますか?

「(名字・カタカナ)さん」のみ。

公式表記は名字漢字なんだけど、俺が好きなのは舞台上の推しであって戸籍ネームの方の(実体としての)推しではない!っていう信念からカタカナ表記にこだわってるなんて話がある、別に表記気にしてるの俺だけでしょうけど。(いや個人的にはカタカナの方(がいい)、って昔ストーリー載せてたな)

下の名前あんま出してないけど「なんだこの生き物…かっこよすぎんだろ…」みたいな文脈でフルネームを使うことはある、でもそれもツイッターだけで手紙はやっぱ名字カタカナだけだ。

 


◎手紙本文は敬語ですか?

Yeeees

とはいえ最近は崩れてきており…という話は前述の通りでして。全編ですます体で中の用語はカタすぎずみたいな感じ。丁寧の範疇で距離はありつつも良かったところは昂りで伝えると、そういう感じでしょうかね。

 


◎封筒の宛名で相手の名前や宛先以外に書いていることはありますか?

ない

郵送じゃなくて(スタッフさんへの)手渡しだから住所もないし。

お名前シールのサンリオの柄で「(グループ名)(名前)様」っていうのを作って貼っつけて送ってます、どっかのオタクがやってていいな〜と思ったので。特にサンリオ好きとか聞いたことはないけどゆるキャラのイメージあるから嫌いでもないでしょう。

 


◎自分の住所は書きますか?

はい

最初に不審者じゃないですよアピールとして書いたのがそのまま続いて。手紙の返信は欲しいどころか手紙読むな燃やせとすら思ってるから返信用にとかそういう意図は無い、ただ書くのが自然だと思ってるから書いてる感じ、別に推しくん相手なら住所くらい減るもんでもないしな。

 


◎自分に関することを書くことはありますか?

コロナ明けの久々の手紙の時は近況報告つって何してたかとか書いたけどそれ以前は全然書いてなかった。なんかこの曲の1Aガーみたいなことの羅列をしていて人間味が無かった(演者からしたら一々覚えてないな…って思って辞めたような気がしないでもない)

コロナ以降はちょいちょい自分のこと書くようになった、授業でこれやってたの思い出しました〜とか期末頑張ります〜とか。

舞台俳優さんのインタビューで近況書いてくれるの嬉しいっていうのを見て、確かにそういうもんかぁと思って個人的すぎる話を書くのもちょっと抵抗がなくなった。それはそれとして覚えて欲しくはないんだけどね

 


◎本文最後に自分の名前以外に書いていることはありますか?

というか自分の名前を書いてないな…最初に名乗ってるからか。覚えて欲しい訳じゃないから名乗りは結構どうでもいいんだよな

なんで覚えて欲しくないんだろ、恥とか照れの究極の形なのかな。この間出た結論は、有象無象としての「ファン」で居ることを選択しているのかもしれない、ということ。認知されてしまったら推しと自分の一対一の関係ができてしまうものだと思っている、その特別感が欲しくてたまらない人々にとっては認知は格好の幸福の種なのであろうが、誰かの特別にならもう実生活でなっているじゃないか…って思う(その意味で私はいわゆる陰キャっぽくはないのだと思う)

わざわざ煩わしい人間関係を増やしたくない、と言ったら分かるだろうか。別に地下アイドルほど濃厚な相互関係を築きあげるような界隈でもないけど、近しい関係を保ったままにファンで居続ける人間と人間の関係…という光景が想像ができないから、距離が遠いまま応援させて欲しい…とこう思うわけだ。

まあ端的に言えば愛を受け取るのが下手なんですよ、一方的に愛をぶつけるのが得意な分。そしてその得意は実生活のレベルで言えば欠陥でもある、だから曲りなりにも「活動者」の人(格)を好きでいることができているということに対して、とても嬉しくそして安堵するものがある。ここらへん長いからまた別テーマとして書くか。とりあえずはこんな感じで御本人達とあまり近くなりたくない、ってことが分かってくれればいい。

 

 

◎書き出しや締めに使うお決まりの言葉や文章はありますか?

書き出しは「こんにちは、(ハンネ)と申します。/○○の感想です。」

一瞬「(ハンネ)です。」にしていたような気もするけど認知してますよね!?!?ねっ!?みたいな感じがするからちゃんと敬語にするようにした。

○○の感想、って最初に明記してあーあのことねって分かりやすくしているつもり。封筒に話題書いておくのが1番分かりやすいし管理しやすいよな〜と思いつつ、捨てていて欲しいという希望を捨てきれていないので管理しにくいように便箋にだけ書いてます(は?)

 

締めは「最後までお読み頂き(誠に)ありがとうございます。」

「誠に」って入れるようにしてたんだけど最近予測変換に頼りきりなのか何故か抜かし気味。最後まで、って入れてるのは便箋10枚になる時とか全然あるから、もし最後まで読んでいてくれてるのだとしたらこれほど有難いことはない…っていうガチマジの感謝がこもった定型句であります。

 


◎取りかかりから完成までどれくらいかかりますか?

本文作成はチマチマ分割しつつやってるから分からんけど、ライブ1本分でも1時間程度はかかってそうだなぁ。プラスFCコンテンツとかメディア出演とか重なった時はもう大変ですよね、時間ある時にちょいちょい進めておくしかありません。ファンレなら細切れに手をつけるのできるのに、これがこと課題となるとなんでこうもダメなんでしょうね…

写経は多分1時間くらい。でも腕痛くなってTwitterポチポチしつつやるのでダラダラやってたら2時間とかかかってはいると思う。万年筆で書いてるからか?力入っちゃってるのかもしれない。時間を気にして字汚くなるとかも結構あって本当にええんかそれはって感じ。いいんだ書いて出すまでがゴールだから

 


◎完成するのは出す日のどれくらい前ですか?

当日出来上がります!(カス)

せめて前日にしたいね、郵送でもいいのかもしれないとちょっと思ったり。

っていうか自分のこしらえた乱文をそう手元に長く置きたくなくないか?郵送の時も書いたらさっさと出しちゃうけど。

 


◎手紙を書きながら予定していたより文章が増えることはありますか?

たまにある。

ここもうちょっと補足した方が良いかな〜とか話題が細切れすぎるかな〜とか思ったら足します。

便箋足りなさそうとかって事情が無いなら、写経の段階ではあともう字数は増えていくしかないッピ涙

 


◎清書して便箋などのスペースが思いのほか余ったときはどうしてますか?

過去の手紙を書く上で選抜落ちした話題を持ってきたり、普段よりはポエミーなことをメモから拾って書いたり、自分の近況書いたり体調気遣ったり…あの手この手であんまり余白が無いようには書いてます。

手紙ごとのメモとはまた別に書きたいことってメモがあって、そことかTwitterに普段生きてて考えたことを記してて、いざとなったらそこから拾ってくる感じ。

 


◎下書きや手紙の文章は残しておきますか?またそれを読み返すことはありますか?

はい!読み返します!

昔の文章気恥ずかしくて嫌ではあるんだけど、ライブレポも兼ねてるから結局目を通す羽目になってる。う〜ん乱筆!なんだかんだ文体の変遷が見れておもろいから残してきてよかった〜って思うね。後これ周りの人々にオススメしすぎて推し君にももうオススメしてたんだっけ?みたいな時とか過去の見返せると便利。

あとは今まで何通、何文字書いてきたかってのも分かるから、見返して(なんなんこのヲタクキモ…)ってできるのも嬉しいポイント。自覚なしキモオタよりは自覚ありキモオタの方が幾分かマシですからね。

 


◎手紙の中に好きという単語はどれくらい出てきますか?

1回も書かないことはない、レベルかな。頻度でいったら普通程度じゃないかなぁ、「こうこうこういうところが好きです」って書き方をするから、ジュテーム・アモーレ・モナムール…♡みたいな感じではないはず。

 


◎手紙を書く上での悩みはありますか?

す〜ぐ字数が多くなるところですね!1回で便箋10枚使うのやめてぇ!読む方も大変だし書き写す方も大変です!

なるべく短くしたいんですけれども…多分細切れにして郵送するのが良いんだろうな。ちょびーとめんどうだ

手紙やめてSNSに送れば?というのも考えたけど、それ用にアカウントを作るにしてもSNSは限りなく個人が出てしまうと思うから好きじゃないなぁと思って結局利き手をいじめ抜く結果になっている。物質としての手紙は匿名感が丁度良いんだよね、仮想ファンというか本当に実在するのかしないのかギリわかんない感じ。アカウント作ってそこから送るって形だと、担降り(乗る担が無いジャンルだけれど近い概念としてね)した時に垢消しするんだろうけど、そうすると何も残らなくなりそうで勿体ない感じもある。俺個人は消えても俺と同じようなことを思う人はそれなりには居るはずで、My thoughtとして残る必要はないがOne's thoughtとして手元に残っておくことでちょっと俯いた時とか何かしらの力になってくれればいいなという思いから、物質性というものに少しこだわりがある。まぁあの人宵越しの鬱は持たないんだけどね、知らん知らん、読むな読むな捨てろ。

 


◎手紙を書き続けて変わったことはありますか?

昔と文体結構変わったかもっていうのは前述の通りで、オタクとして柔らかくなったなぁというのは感じる。手紙のおかげなのかは分からないけど。

手紙を書く…というか文章を書くこと自体は自分にとって普通のことなのでそれを続けたところでそれが俺の日常だが?って感じで別段どうってことないのだが、手紙にしか書かないことが増えていくに連れて手紙という場が自分にとって壁打ちというよりも懺悔室のようなものになっているなと思う。ただ1人だけで行われる活動というより、基本的には自分が主体だけれども第三者よりももっと外側の存在が見ているかもしれないし見ていないかもしれない活動という意識になって、手紙への態度が変わったかなと思う。それはつまり手紙を読む推し君の存在を認めつつあるということであり、見られているかもしれないという緊張感・あるいは親しみを持って執筆することに繋がる。かつては偶像として動かないままでいることを相手に望みそして自己の中に形成された相手の像を崇めていた「推し活」であったが、鳥取環境大文化祭やヤバスピ鹿児島を契機に偶像が動き出した感覚がある。そしてその変化を自分は許せるようになった、それはかつての私には考えられないことで、そしてかつての推しも昔ではしなかったことだろうと思う。

何か壮大な話になったが、ライブでの出来事やそれに関する心情を逐一書き連ねること(これの結晶が手紙となるわけだが)これが自分の思想(と呼んで差し支えないもの)の土台になっているような気はしている。

 


◎手紙を通して一番伝えたいことは何ですか?

うーん、自信持て!とかかなぁ

もっと私情でSNS更新しろ!とかも思ってるかも、宣伝ばっかなんだからもう。好きにしたらいいけどねっ

貴方が貴方のままでいてくれるだけで大好きなんだよなぁ…特に何も望まない、ただ貴方らしく振舞って欲しいしその上で何か障るところがあるのなら気にしないでいいよと思ってしまう。ただ、俺が何を言おうと彼は彼で勝手にしたいことをしてくれるだろうという来歴と信頼があるから、結局本人宛に渡す意味は無いのかもしれない。

そうだなやっぱり、貴方を見ている人がここにいるよとは言いたいかも。昔髪が短かった頃、演奏する上で気をつけていることは?と問われて「目立たない」と答えていた人だけど、目立たないことと無いことは決してイコールではない。無くしてから気付く人の有難みを無くす前から気付いてるだけって感じ?

「ボーカルと愉快な仲間たち」「ボーカルと楽器隊」ではなくてバンドなのだから、そういうファンが居てもいいよね〜と思う

 


◎手紙について推しから何か反応を貰ったことはありますか?

これがですね、直接言及されたことは無いんですよぐへへ(ここ惚気ポイント)

わはは、いくら愛しても何も反応が無いのハチャメチャに嬉しすぎる…

わたくし愛情に関して特異な自覚があるので、どれだけ苛烈に愛しても返答が無いということが嬉し過ぎるんですね、愛情においてのみ一般人になれる気がするからです(実際はそう勘違いさせてくれているだけなんだけど、嬉しい)

 

とはいえ手紙が全く読まれていないだろうと言い切るのもまた難くて、アカデミズムの血でしょうか(と記すことで断定を避ける曖昧な表現を正当化しようとしているのだが)、どんどん服装がかっこよくなっていったりやって欲しかった企画が特典として出たりとかに関しては、直接意見を届けている人々の一部として参考にされた部分もあるのではないかなと書いても良いのではないかなと思う部分も少なからず存在しております。

めんどくさ、大人しく俺のおかげで推し君はカッコよくなりましたって書けよ やだよ どうすんだよ色恋沙汰だったら 別にいいけど ウス

 

じゃあガッチリ反応貰ったら嘆くのかと言われれば全然今の俺なら諸手を挙げて喜べると思う、多分。昔なら無理。生きたいように生きた結果ならどんなものでも受け入れる、というスタンスがあくまで第一かな?。相手を思いやる優しさも彼の中にありそうだけどそれと同時に俺のしたいようにやったったわって言ってる姿も想像出来て、その複雑性こそが惚れた要因なんですわ

こんな倒錯した夢小説を読まされる方の気持ちにもなって欲しい、全然言ってる意味分かられてないと思う ええんですわIt's my lifeなのでね、ヤーッ

 


◎手紙に関する事件があったら教えてください。

特にない!

御本人達と絶対関わりたくないマンだから尚更何も無いわね

 

強いて挙げれば…

こういう曲順にしたら最高だなって妄想しました〜って書いたら、1週間後のライブで順番そのままでは無いけど挙げてた曲全部聞けたってことがあって、それはめちゃくちゃ思い出深いな〜ずっと抱えていたい記憶。意外とセトリ決める時のネタ困ってんのかなって思わなくもないんだけど、偶然だとしてもシンプルに好き曲が聞けて嬉しかったな。

 


◎あなたにとってお手紙とは何ですか?

一言で言うなら、人生の表出とでも言うのかなぁ。

何か音楽を聞いたりインタビューを読んだりして考えたこと、までは誰にでもあると思うんだよ、どんなに単純なこと「かっこよかった」「おもろかった」とかでも何かしら思うところはあると思う。でもそれを書く段階まではいかないんだよね。Twitterにも断片的にしか書かないと思うし、多分だけど語るための言葉を持たないから書いていないという人も一定数いると思う。

 

自分にとって、文章を書くということはいつからか当たり前になっていて、書くことは生きることだ、な〜んて述べてもなんら違和感はない程だ。そして自分にとって好きでいるということは、その人のことが日常でふと思い出されたりあれ好きそうとか考えたりこの話推しのあの作品に似てるなってこじつけたりすることなのだとも思う。推しとは、考え、哲学する対象なのだ。その推しがたまたま歴史上の人物とか自然界とかだと研究者とかその端くれとかになる…ってことなんだと思う。

 

好きでいることは考えること、書くことは生きること。その考えた結果を人に見える形にしたものが手紙であり、「ファンレター」の形をしている僕の脳みそ、人生といったところだろうか。

当初は、ただ貴方はこんなに素敵ですよ!と伝える為それをわかって欲しいが為に書いていたし出していたけれど、目的が変わったというか無くなったというか、日課だから出すみたいな感じになっている気がする。出席確認の課題提出みたい。書くことの方が自分にとっては大事なんだなって考えに至ったから、相手の振る舞いに関してはどうでも良くなってる感じがある、好きにしてくれ〜

返信はないけど返答を憶測ででっち上げて満足しているし、イマジナリーフレンドってこういう感じなんだろうな〜って思う。

 


◎推しへの手紙について語りたいことがあればご自由にどうぞ。

何故邦ロック界隈でコンスタントに手紙送り続けるのか考えた時のことを昔のツイートから引っ張ってまとめておきます。その時丁度音楽の歴史に関する本を読んでいたのでそこから考えたこと。

 

音楽は観るものから参加するものへ(コンサート→フェス)進化してきた。要因はというと音響技術の向上によるもので、デヴィッド・ボウイの派手な衣装は観るものだった名残だし、それが段々とTシャツとかラフな格好になったのはスポーツ化しているからだ、という見方がある。

僕は美術畑出身の感覚でライブでは恐らく美術館と同じ様な振る舞いをする。観るためには自分と鑑賞物に距離が必要になるのだが、しかし同時にファンレターという参加的性質の行動も楽しんでいる。この場合、距離が保たれたライブ中の観測によってその感想を書くファンレターでの参加が成り立つのだが、次にライブに行った時手紙による参加から観客としての観測に戻る時の「距離を犯した感覚」が嫌で、手紙読むなって思っていたんだな。は〜納得納得。


高校野球にお熱な日本人の態度は熱中して無私な感じが宗教チックっていう話を聞いたことがあるが、私はスポーツ観戦もスポーツも特筆するほどの好きでは無いから、音楽に参加するフェス式とその型の人類(=スポーツ的)とは合わないことも多くなってしまうのかもしれない。繋がりたくない僕らには日曜日がずっと来なければいいのに、と書いてみるが言葉遊びなだけで別にそんなに日タグを恨んでいる訳では無い。

 

相手はれっきとした生き物なのに、人間なのに、僕は多分観測する物として見ているんだろうなぁ。論理だけでない感情的な人間部分が好きだという自覚はあるのに、あまりに対象化しすぎている。つまり自分の好きなままの“好きな人”でいて欲しいと思いすぎて、ありのままの推し君を受け入れることができているだろうか?ということだ。

動かない絵画とか彫刻とか無生物の芸術は古代からあるけど、生身の人物をここまで芸術たらしめる行動(アイドルとか)は意外とココ最近のものなのかもしれない。テレビとかYouTubeとか映像が民主化されてないと生身の人間の生身を体感できないからそりゃそうか。

視線は人を物にする。

かといって人間としてありのままの演者と関係を作るとなればそれはただの友人で(だから友人になりたいと思う人は出待ちが出来るのかもしれない)、観客がお金を払うので演者が美芸を与えてくれる、という封建的な享受関係がある以上、平民から貴族への尊敬の眼差しは貴族を偶像化することになる?


中世西欧相互契約型と見なしたら…そうすると立場が対等になるから人同士の関わりにはなるが、尊敬の念が消えないだろうか。皆平等で互いに尊敬し合う条件下でなら人間同士の交流が一応は叶うかのように思われる。そもそもファンとアイドルの関係が不平等だから、人間として関わり合うことなんてできないんじゃないかと思ってしまう。形としてはお金と芸術の交換をしているが、我々は多くを貰い過ぎているのでは?演者から貰うキラキラした思い出・宝物はどんどん膨れていきついには生きる意味にまでなる。増幅させたのは自分だが、結晶を投げて肥大化させる原因を作ったのは向こうだ。この溢れる愛は全て自分の身体精神組織による腫れであり、1の刺激を100にしているのは自分なのに100を貰ったと勘違いする。100を貰った!と思う芸術品・作者への尊敬が起因となって同じ生身の人間を物質化させてしまうのだ。

当人を想う愛が当人の人間性を奪う、愛の倒錯。人を物扱いすること、愛の究極も蔑の究極も同じことなんだ。何が無償の愛だ、愛なんか無償で当たり前じゃないか、相手の本質を無視するからこそ愛になってしまうんだ。なんなら有償の方が、対等関係を望んでいる分幾分かマシなのではとさえ思うよ。誰も、何も、愛していたくない。
誰も傷つけたくないなら誰のことも愛さないで生きなければ。敬意はそのまま壁となる、その壁はまた人と人との間に非対称性を産むものだ。私と貴方は同じ人間で、でもどうしようもなく別の人間であることが尊敬する理由の根源だ。同じ人間で居たいけど不躾になりきれないから、僕は仕方なく貴方と別の人間で居ることを選んだことになっている。

 

 

 

はい、多分大体書いた、何かあったら(なくても)感想フォームに送ってくれるととてもとても嬉しいです。分かんねーよもっと分かりやすく書けやカス!とか全然大歓迎です。これもっと知りたいとか言われたら加筆するかもしれません。

 

最後まで読んでくれてありがとう。私の文章があなたの体内で時限爆弾となって生き続けますように、いつかふいに爆発してあなたが私を思い出す時がありますように。