狂信と哲学

「推しは宗教」現代における宗教は娯楽で、じゃあ現場は実家だと思う。

○手紙について

1回やってみたかったんだな〜

お題「推しへのお手紙についての質問」

 

 

2023年7月、町は猛暑と当落で阿鼻叫喚、僕はバンドのオタクをしている。

多分バンドのオタクにしては珍しく毎公演ファンレターを書いているのだが、元々これは若手俳優のオタクから受け継いだ文化なのだ

ってことで若俳オタの通る道を踏襲してみると、いうことだ。

5月から書き始めてはいたんだけどまあ案の定長文になったので7月に公開、前半とか書いた記憶ないですわ。

 

 

書いた理由は

・オリジナル便箋を早く消費したいので貰ってくれる人を募集したい

・2023年度中に京都で手紙展をやるのですが、そこで書き下ろしファンレター(?)を公開するので来てねっていう宣伝。ファン歴を振り返る予定です、多分。来れない人も多いと思うので行きたかったです〜って連絡をお題箱に投げといてください、それ見てホクホクしてます。

の2点です。15000🈑とかになったので最後に置いても読んでくれないわということで最初に宣伝しておきます。

 

※便宜上「推しくん」とか「現場」とか書く(呼びかけてるみたくなるから固有名詞の名前書きたくない)けれど、これは別段バンドのアイドル化を助長させるものではない

 

〇ゲロ長ぇ〜目次

 

 

◎初めての手紙を書くきっかけは何でしたか?

あれは忘れもしない2019年6月2日…というのは流石にメモ見ないと忘れているが、私が初めてハンブレッダーズのライブに行った日、あまりのかっこよさに腰が抜けて帰りの電車で1通目のファンレターの文面をしたためたのを覚えている。

元々知り合いが若手俳優のオタクをしていて、ファンレ書きまくった結果爆レス貰ってハッピーという話を聞いており、別に認知はされたくないけど公演の感想を書いて渡すの楽しそうだな〜と思っていたのでこの機に…!と思ったのが始まり。その頃は確かYouTuberのオタクをしていたから配信でお金飛ばすくらいしかオタ活・推仕事っぽいことがなくて、いわゆる現場みたいなのがなかったからいつかやってみたいな〜と思ってたんだよな。

ブレちゃんを知ったのもYouTubeアルゴリズムのおかげだと思うので感謝感謝、感謝のプレミアム(カキーン)

 


◎手紙を書くのはどんなときですか?

基本毎公演分、公演が終わった後にその日の感想を下書きする。この時はまだツイートくらい砕けた文体だし、手紙に書けないな…失礼すぎるな…って思った内容はライブ後に(ネットに晒しても良い程度に文面を書き換えて)ツイートする。

そして次に行くライブの、前日に前回の感想を清書するようにして(全然達成できてない目標…泣、現実は当日の移動時間に執筆)、開場前にカフェとか入って写経。

時間が厳しかったりあまりに衝撃が大きすぎて上手く言語化できなかった時は次回以降に回してる、でも必ず公演行った分だけ書く。こないだライブ履歴見返してたら全然サボってる回数多かったわ。まあコロナの時ライブ行っても手紙書けなかったからその分だと思えばいいか。

写経してる時は字数多すぎてもう二度と書くかって思うんだけど、ライブが終わると思い出に残そうと思って感想メモ書いてるし、ライブ行く前はファンレ書きたくなるんだよねぇ…

ここで一句

「さようならこれが最後のファンレター」

と書くまで諭吉はいくつ消えるか

 


◎推し以外の人に書くことはありますか?それはどんな時ですか?

最初は別メンバーにもチョロっと書いてたけどある時から推しにしか書かなくなってた、あれおかしいな。

推し:ドラムの人に向けてだと歌詞考察とか書いてもあんま興味無いだろうから、そういう意味でまた書きたい気持ちはあるな〜(でもここのブログ記事にして満足しちゃうんだよな)

 


◎今まで何通書きましたか?また1年でどのくらい書きますか?

数えたら40通くらい出してて泣きそうになりました、キショオタすぎる…涙

「おっかけ始め→メジャデ→コロナ禍(手紙が出せなくなる)→手紙解禁→今」で4年間、実質コロナ前後の2年しか出してないのに…えぇっ…(引)

手紙送った数は現場の数とイコールなので送った分は行ったライブの数なんだけれど…えっ1年に20…も現場通ってるかなぁ、行ってるんだろうなぁ覚えてないだけで

ワンマンツアーと夏フェスの時期は沢山行くからそれで増えてるのかもな。ちなみにカウントダウン系列の夏フェスは物販スタッフがバンドスタッフとまた別なのでプレゼント差し入れ手紙などなどを受け取ってくれないので皆々様におかれましてはご注意を…って話は別にええか。誰もいちいちバンドにプレゼントあげねンだよな

 


◎どういう方法で出しますか?

ライブ後の物販で物販スタッフさんにお願いしてる。末端の人だと手紙お願いしまーすって言っても「えっ…と、少々お待ちください!」ってお偉いさんに聞きに行かれるんですけど、根気よく待ってれば受け取ってくれるので不安にならなくて大丈夫です(多分)。

事務所に郵送でもいいんだけど、メンバーの方々が上京してなかった時は事務所と居住地が遠くてすぐ手元に行かないだろうなあとかでこのスタイルに。今郵送する時、私はトイズファクトリーの渋谷の方に送ってるけど、ソニー千代田区の方に出しても届くみたい。月に数回渋谷の方で打ち合わせがあるから〜みたいな話をしていたことがあるから、トイズの方が手元に早く届きそうって気持ちでそっちに送ってる。あと普通にトイズファクトリーさん拾ってくれてありがとうございますの気持ち、媚びを売っています、人気ですよ!!!っていう表明。

 

昔六本木のシアターEX?でフェスだか対バンだかしてた時に、物販の隣にプレゼントボックスが置かれてた時があって、それはめちゃくちゃテンション上がったな…プレボを俺の推し宛の物で満杯にしたい…(それはそれとして持って帰るの大変そう)(結局その日は手紙出してなかったからまだ人生でプレボ使ったことない)

プレボの方がスタッフさんあわあわがなくて楽だからそういう意味では置いて欲しいけど、でもメンバー間とかヲタク間で争いたくないので置いて欲しくないって気持ちもある、そこまで殺伐とした界隈ではありませんが

なんか全然米とかあげたいよね それかむっちゃ派手な洋服あげたい、着る勇気が無いって言ってたから そういう奴は持ってても着ないけどよ

 


◎下書きは作成しますか?する場合どのように作成しますか?

ゴリゴリ下書き作成してるし今まで出したやつ全部保存してる。字数カウントできるメモ帳で字数見ながら書いてて、最初は1000字前後になるようにどの話題書くか調整してたけど最近は思いつくまま書いて1500字とかになってる。

送ったものと手元のメモが一字一句同じ文面になるように、写経してる途中で文面変えたら必ずメモ帳の方も直してる。

今まで80000文字とか書いてますね 気持ち悪いですねこのヲタク、泣けます でも送るんです意味わからないです

 


◎便箋何枚くらい書きますか?また便箋はどのようなものですか?

1000字3枚基準で書いてたけど、ギチギチに文字詰めれば1500もイける(多分)。読みづらいしパッと見の絵面があまりにキショオタクなのでやめたい(やめない)(やめられない)

便箋はホールマークさんのエンボスだのラメだのが入ったやつを使うことが多い、他のちまちました会社のやつも使うけどね(最近紙質が変わってホールマークさんばっかりって訳にもいかなくなっちゃった!)。ロフトとか文房具屋に寄る度にパトロールして気に入ったデザインのものを買ってる。気に入ったデザインのは全部買う!って感じだけど、求めるデザインのハードルが高いのでこのくらいのスタンスで消費量とも釣り合いが取れてる。

音楽モチーフとか銀河モチーフのがあれば、それをバンドとか楽曲観とかに合ってるなと思って選んでる。こないだ推しの誕生花っぽいイラストのやつがあったからラッキーと思って即買った。

メディア露出が若干増えてから感想の量が爆増して便箋が追いつかなくなったから、なんかもうデザインとか言ってらんなくなって枚数沢山入ってるやつに移行しよか〜と企んでいる最中です。

 

あとねこちやん系ですね 推しが猫派なので

せめてヲタクのきっっもちわりぃ手紙で嫌な思いをしないように猫ちゃんグッズでhis majesty(人称代名詞)の機嫌を取ろうとしています(大人しく推しって書けばよかったな)。

 


◎便箋や封筒、筆記具などへのこだわりはありますか?

大ありでございます。

封筒は3人時代に発注したスリーピースデザインのオリジナル箔押しのものをずっと使ってるんだけど、如何せんもう1人加入しちゃってその人がデザインされてないの申し訳なさすぎるのでさっさと消費したい(あと50枚はある)(お願い貰ってフォロワー…泣)(フォロワーじゃなくても押し付けてる)

 

市販のレターセットは封筒1枚便箋2枚がデフォとかいう文筆オタクに優しくない仕様なので使ったことない、必ず封筒と便箋は別々で買ってる。

筆記具は主に万年筆、最近はPILOT kakuno×Parker Quink Blueだけど、昔はSAILOR レクル×SAILOR インク工房123番とか使ってた気がする。うっすら分かるように文房具オタクをしていた時期があるので、折角の使う機会だ〜と思ってここぞとばかりに使っている。でもこないだ遠征先で万年筆のインク切れて痛い目みたのでその時用のかわゆカラーのボールペンを買いました。

(これだ!かわいいねぇ→https://www.craypas.co.jp/press/notice/sa_pre_0200.html)

 


◎誤字はどうしてますか?

メモ帳を写経してるだけなので基本誤字しない…がそれでもした時は

①誤字ったのがバレないような文章を考える

②隣に小さく入れ込む

③全部一から書き直し

とかかな?いわゆる毛虫は使ってない、僕個人としては読んでて気が散るかなと思うので。

昔の気合い入ってた時代の私は「誤字!?許せん!全部書き直しじゃ!!」って③をやってたけど、最近のぬるくなった私は「まあ極端に読めない訳じゃないしいいよね〜」ともっぱら①②です。

自分は写経だからミスしないと思ってるけど、前それを話した友達からは驚かれたので(その子書道やってるけどな)、普通に珍しいのかもしれない。直近の記憶だと3公演に1箇所くらいだと思うな。4500文字に1~2文字?

 


◎どんなときに文章を考えますか?

ライブ中にあれ書こう!とかあれツイートしよう!とか覚えておこう!ってのは片隅に起きながら見てはいて、ライブ後にそれらの書くことを箇条書き、次のライブ前に清書。だからまあライブ前の移動時間とか前日の用意の中で考えてる時がメインかな。

ライブ後1週間くらいはあれ書こう!って即メモすることがあるけどそれ以降はそんな精細に思い出しはしなくて、メモを頼りに思い出してって清書って感じ。ライブが無い時にツイートとかファンクラブコンテンツについて書きたくなった時も箇条書きのとこにメモしとくだけで成文化はしない、話の流れとかも清書の時に全部まとめてるな。

 


◎文章はどうやって組み立てますか?

メモの時点だと乱雑な文体だからまずそこらへんを丁寧にする作業がある。

「どちゃくそよかった」→「とても素敵」

「〜ってとこあった」→「〜という場面が印象的で覚えています」

とか。

でも「めちゃめちゃ」とかは熱さが伝わるかなと思ってそのまま使う語彙だな。

昔の手紙(の文章)を見返してみると、とにかく丁寧に丁寧に…と危惧しまくって「〜と思いました。」「〜です。」とか羅列する感じの文章でめっちゃカタい感じ。ねぇ君複文知らないよね?今はなんというか、推し君に対して少し失礼な態度を取る自分を許すことが出来るようになっていて、少しフランクな感じがでてきてもっと人間味溢れた感情豊かな文章がかけているはず。ま〜じで怖いオタクだったなほんまに(ねぇ、今もだよ🎶)(ミチゲッタ〜‼️)

 


◎文章の作成において大事にしていることやこだわりは何ですか?

当初は「失礼のないように…私情を書かないように…向こうは俺の事なんて興味ないんだから…」が最優先だったんだけど、今は別にどうでもよくなってヤッホーみたいなテンション感で書いている気がする、ですます体ではあるんだけども。

↑こういう、「(完全な文章)、(補足文)。」(←この「、」って別に「。」でもいい)って書き方は特徴的かも。これもやっぱり気持ち的には最近の、フランクな文章寄りだなと思っている。

 

なんだっけ文章作成において大切にしてることか。最初に主題を置いてから良かったところを語るとか、とにかく内容が分かりやすいように心がけてはいるかも(これ別に手紙に限らず文章作成全般においてそうだけどね)。日本語主語なくなりがちじゃんね、だからそこ気をつけるとか、逆に主語抜かなくてもファンレターだから動作主は推しって分かるんだけど(〜さんのこの仕草が)みたいにわざと入れて、“あたしゃあんたのことが大好きなのよ”感を出しているというのはあるかも。この愛を伝えている人がイコール僕であると伝える必要はないけれど、貴方を愛している人がこの世に確実に存在していることは絶対に主張しなければならないので、それはもう爆裂に褒めちぎるし、これおめーのことだよ!って意味で名前は結構書くかもな。

 


◎手紙の内容はどんな雰囲気ですか?

最近は結構フランクな感じ、ちょっとツイッターの文面に近づいてきたのかもしれない。ぼくすこし絵かけるpersonなので「👍」「💪」とかは書面でも使う(ようになった)し、(カッコの中に感情入れるやつとか)、「〜」も「…」とか「…涙」「笑」も使うようになった!(「!」もだな)

やっぱ多少は失礼(ってか愉快な野郎)になってんな

むしろこれらが無かったコロナ前の文章死ぬほど怖すぎる、ごめん推し君

 

あと一文がやっぱ長くなってしまう傾向はあるかもしれない。

「(譲歩文)ですが、(理由文)なので、(主文)。」みたいな句点とか並びですっと読める文章にしているつもりですが、まぁ長いことには変わりないんだなぁこれが。

人当たりとして外面は明るいけどどこか暗さもあって…みたいな人格像が見えるんじゃないかなぁと思ったり。実物はというとぜーんぜん突飛な、人の形をした化け物ですけどね

 


◎書かないようにしていることはありますか?

手紙には褒めることしか書かないので、あまりに直接的すぎる要求とかは書かないかな?

○○して欲しいな〜って内容は、「もしするなら○○とか良いと思います」みたいにぼかして書くことはあった。

あと公演中のミスとか?MCで触れられたりしなかったら書かないな〜

この信念のおかげで「本番中ミスったとこをその後の場面でメンバーに詰められて、目線のやり場に困った推しと目があって(幻想)爆沸きしたエピソード」はお蔵入りになりました。こっち見んな、嬉しくなっちゃう(自分が嫌だ)から

 

ミスって苦い顔してるのを「あそこ納得いかなかったんだろうな〜」って称して触れたことはあるな、別に俺は良いと思いましたけどスタンスというか大肯定する感じはやっぱり残しつつね。

 


◎手紙にしか書かないことはありますか?

結構あるかも〜

こういうグッズ出して欲しいとかこういうセトリ良くねとかの要望系は、なんとなく他のファンから見えない方が良いかな(読んでる保証も参考にした確証も別にないけど)と思って手紙には書くけどツイートはしないな。

ぽえみ〜な感じの文を書くことがあるんだけど、そういう程よく内省的な文章は伝えたいなと思うことだったら手紙に書く。逆に内省的すぎるやつはツイッターにしか書かん。

手紙の語りかけるような感じというか、あなたにしか見せませんよって感じがそうさせているのかもしれない。だから内容的にはツイート位の軽い内容でも語りかける感じが強いやつは手紙行きになってるかもしれない。ツイッターのしかも表垢で@も付けずに語りかけててもただのキショオタクだしもう昔ほどエゴサしないだろうからね。

 


◎ダメ出しなど、何か指摘することはありますか?

ないねぇ…演奏に関しては別に向こうが圧倒的プロなので言うことないし、ミスっても別に人間だからそらあるし、何か支障が出る程のミスではないし(それってよく考えたら凄いのでは?)。

舞台上の振る舞いに関してなら素人が多少言えることはあれど、俺は冷徹な顔をした推しも楽しそうな推しもどちらも好きなので無理に笑顔にならなくていいと思ってるし別に言うことはない。たまたま望む行動に近いことをした時にすげぇ良かった次する時があったらこうしてよって書けばいいだけで、たまたま個人的に良くなかった日にああしろしってダメ出しすることはないね。

(あでも大昔インスタのDMで1回だけ苦言呈したことあるわ…あの後インスタの垢消えてすっげぇ悲しかったの覚えてる…俺のせいなのかは永遠に分からないけど)

 


◎便箋一枚目の最初に「○○さんへ」「Dear ○○」など書きますか?

いいえ〜

宛名は封筒に「(グループ名)○○様」とだけ。本文ではめっちゃ名前呼ぶのにフシギダネ

 

フォロワーに手紙書く時は「○○ちゃん/くん/様」などなど最初に書くから、むしろ書かないの推しだけな気がするな、なんでやろ。Vの会社みたく個人情報書いてある封筒は覗いて渡されてるなんてこともないだろうから、誰宛に書いてるかは明白だろ…っていうのがある。手紙の最初は名乗ってるし尚更書かないね

 

 

◎手紙本文の最初で名乗りますか?

はい!

ファンレター送りたての時からこうしてたからそれが続いてるだけなんだけど、よく考えたら昔は絶対認知するな厨だったはずなんだよな…

 

ここらへんははてブのファンレターに関する記事を読みまくって辿り着いた形式だったはず。

Dearを最初に書かないのも、そういえばどなたかのブログで書かんでも分かるやんって意見を見たからそのようにしたっていう経緯。

 

封筒もそうだけど最初に誰が書いてるか分かれば「あっこいつからの手紙か読まんとこ」って選別出来るからそういう意図もあったのかもしれない、初期の俺は無茶苦茶卑下するからな

(今でも別に読むなとは思っているが諦めの境地に来た)

 


◎手紙では推しを何と呼んでいますか?

「(名字・カタカナ)さん」のみ。

公式表記は名字漢字なんだけど、俺が好きなのは舞台上の推しであって戸籍ネームの方の(実体としての)推しではない!っていう信念からカタカナ表記にこだわってるなんて話がある、別に表記気にしてるの俺だけでしょうけど。(いや個人的にはカタカナの方(がいい)、って昔ストーリー載せてたな)

下の名前あんま出してないけど「なんだこの生き物…かっこよすぎんだろ…」みたいな文脈でフルネームを使うことはある、でもそれもツイッターだけで手紙はやっぱ名字カタカナだけだ。

 


◎手紙本文は敬語ですか?

Yeeees

とはいえ最近は崩れてきており…という話は前述の通りでして。全編ですます体で中の用語はカタすぎずみたいな感じ。丁寧の範疇で距離はありつつも良かったところは昂りで伝えると、そういう感じでしょうかね。

 


◎封筒の宛名で相手の名前や宛先以外に書いていることはありますか?

ない

郵送じゃなくて(スタッフさんへの)手渡しだから住所もないし。

お名前シールのサンリオの柄で「(グループ名)(名前)様」っていうのを作って貼っつけて送ってます、どっかのオタクがやってていいな〜と思ったので。特にサンリオ好きとか聞いたことはないけどゆるキャラのイメージあるから嫌いでもないでしょう。

 


◎自分の住所は書きますか?

はい

最初に不審者じゃないですよアピールとして書いたのがそのまま続いて。手紙の返信は欲しいどころか手紙読むな燃やせとすら思ってるから返信用にとかそういう意図は無い、ただ書くのが自然だと思ってるから書いてる感じ、別に推しくん相手なら住所くらい減るもんでもないしな。

 


◎自分に関することを書くことはありますか?

コロナ明けの久々の手紙の時は近況報告つって何してたかとか書いたけどそれ以前は全然書いてなかった。なんかこの曲の1Aガーみたいなことの羅列をしていて人間味が無かった(演者からしたら一々覚えてないな…って思って辞めたような気がしないでもない)

コロナ以降はちょいちょい自分のこと書くようになった、授業でこれやってたの思い出しました〜とか期末頑張ります〜とか。

舞台俳優さんのインタビューで近況書いてくれるの嬉しいっていうのを見て、確かにそういうもんかぁと思って個人的すぎる話を書くのもちょっと抵抗がなくなった。それはそれとして覚えて欲しくはないんだけどね

 


◎本文最後に自分の名前以外に書いていることはありますか?

というか自分の名前を書いてないな…最初に名乗ってるからか。覚えて欲しい訳じゃないから名乗りは結構どうでもいいんだよな

なんで覚えて欲しくないんだろ、恥とか照れの究極の形なのかな。この間出た結論は、有象無象としての「ファン」で居ることを選択しているのかもしれない、ということ。認知されてしまったら推しと自分の一対一の関係ができてしまうものだと思っている、その特別感が欲しくてたまらない人々にとっては認知は格好の幸福の種なのであろうが、誰かの特別にならもう実生活でなっているじゃないか…って思う(その意味で私はいわゆる陰キャっぽくはないのだと思う)

わざわざ煩わしい人間関係を増やしたくない、と言ったら分かるだろうか。別に地下アイドルほど濃厚な相互関係を築きあげるような界隈でもないけど、近しい関係を保ったままにファンで居続ける人間と人間の関係…という光景が想像ができないから、距離が遠いまま応援させて欲しい…とこう思うわけだ。

まあ端的に言えば愛を受け取るのが下手なんですよ、一方的に愛をぶつけるのが得意な分。そしてその得意は実生活のレベルで言えば欠陥でもある、だから曲りなりにも「活動者」の人(格)を好きでいることができているということに対して、とても嬉しくそして安堵するものがある。ここらへん長いからまた別テーマとして書くか。とりあえずはこんな感じで御本人達とあまり近くなりたくない、ってことが分かってくれればいい。

 

 

◎書き出しや締めに使うお決まりの言葉や文章はありますか?

書き出しは「こんにちは、(ハンネ)と申します。/○○の感想です。」

一瞬「(ハンネ)です。」にしていたような気もするけど認知してますよね!?!?ねっ!?みたいな感じがするからちゃんと敬語にするようにした。

○○の感想、って最初に明記してあーあのことねって分かりやすくしているつもり。封筒に話題書いておくのが1番分かりやすいし管理しやすいよな〜と思いつつ、捨てていて欲しいという希望を捨てきれていないので管理しにくいように便箋にだけ書いてます(は?)

 

締めは「最後までお読み頂き(誠に)ありがとうございます。」

「誠に」って入れるようにしてたんだけど最近予測変換に頼りきりなのか何故か抜かし気味。最後まで、って入れてるのは便箋10枚になる時とか全然あるから、もし最後まで読んでいてくれてるのだとしたらこれほど有難いことはない…っていうガチマジの感謝がこもった定型句であります。

 


◎取りかかりから完成までどれくらいかかりますか?

本文作成はチマチマ分割しつつやってるから分からんけど、ライブ1本分でも1時間程度はかかってそうだなぁ。プラスFCコンテンツとかメディア出演とか重なった時はもう大変ですよね、時間ある時にちょいちょい進めておくしかありません。ファンレなら細切れに手をつけるのできるのに、これがこと課題となるとなんでこうもダメなんでしょうね…

写経は多分1時間くらい。でも腕痛くなってTwitterポチポチしつつやるのでダラダラやってたら2時間とかかかってはいると思う。万年筆で書いてるからか?力入っちゃってるのかもしれない。時間を気にして字汚くなるとかも結構あって本当にええんかそれはって感じ。いいんだ書いて出すまでがゴールだから

 


◎完成するのは出す日のどれくらい前ですか?

当日出来上がります!(カス)

せめて前日にしたいね、郵送でもいいのかもしれないとちょっと思ったり。

っていうか自分のこしらえた乱文をそう手元に長く置きたくなくないか?郵送の時も書いたらさっさと出しちゃうけど。

 


◎手紙を書きながら予定していたより文章が増えることはありますか?

たまにある。

ここもうちょっと補足した方が良いかな〜とか話題が細切れすぎるかな〜とか思ったら足します。

便箋足りなさそうとかって事情が無いなら、写経の段階ではあともう字数は増えていくしかないッピ涙

 


◎清書して便箋などのスペースが思いのほか余ったときはどうしてますか?

過去の手紙を書く上で選抜落ちした話題を持ってきたり、普段よりはポエミーなことをメモから拾って書いたり、自分の近況書いたり体調気遣ったり…あの手この手であんまり余白が無いようには書いてます。

手紙ごとのメモとはまた別に書きたいことってメモがあって、そことかTwitterに普段生きてて考えたことを記してて、いざとなったらそこから拾ってくる感じ。

 


◎下書きや手紙の文章は残しておきますか?またそれを読み返すことはありますか?

はい!読み返します!

昔の文章気恥ずかしくて嫌ではあるんだけど、ライブレポも兼ねてるから結局目を通す羽目になってる。う〜ん乱筆!なんだかんだ文体の変遷が見れておもろいから残してきてよかった〜って思うね。後これ周りの人々にオススメしすぎて推し君にももうオススメしてたんだっけ?みたいな時とか過去の見返せると便利。

あとは今まで何通、何文字書いてきたかってのも分かるから、見返して(なんなんこのヲタクキモ…)ってできるのも嬉しいポイント。自覚なしキモオタよりは自覚ありキモオタの方が幾分かマシですからね。

 


◎手紙の中に好きという単語はどれくらい出てきますか?

1回も書かないことはない、レベルかな。頻度でいったら普通程度じゃないかなぁ、「こうこうこういうところが好きです」って書き方をするから、ジュテーム・アモーレ・モナムール…♡みたいな感じではないはず。

 


◎手紙を書く上での悩みはありますか?

す〜ぐ字数が多くなるところですね!1回で便箋10枚使うのやめてぇ!読む方も大変だし書き写す方も大変です!

なるべく短くしたいんですけれども…多分細切れにして郵送するのが良いんだろうな。ちょびーとめんどうだ

手紙やめてSNSに送れば?というのも考えたけど、それ用にアカウントを作るにしてもSNSは限りなく個人が出てしまうと思うから好きじゃないなぁと思って結局利き手をいじめ抜く結果になっている。物質としての手紙は匿名感が丁度良いんだよね、仮想ファンというか本当に実在するのかしないのかギリわかんない感じ。アカウント作ってそこから送るって形だと、担降り(乗る担が無いジャンルだけれど近い概念としてね)した時に垢消しするんだろうけど、そうすると何も残らなくなりそうで勿体ない感じもある。俺個人は消えても俺と同じようなことを思う人はそれなりには居るはずで、My thoughtとして残る必要はないがOne's thoughtとして手元に残っておくことでちょっと俯いた時とか何かしらの力になってくれればいいなという思いから、物質性というものに少しこだわりがある。まぁあの人宵越しの鬱は持たないんだけどね、知らん知らん、読むな読むな捨てろ。

 


◎手紙を書き続けて変わったことはありますか?

昔と文体結構変わったかもっていうのは前述の通りで、オタクとして柔らかくなったなぁというのは感じる。手紙のおかげなのかは分からないけど。

手紙を書く…というか文章を書くこと自体は自分にとって普通のことなのでそれを続けたところでそれが俺の日常だが?って感じで別段どうってことないのだが、手紙にしか書かないことが増えていくに連れて手紙という場が自分にとって壁打ちというよりも懺悔室のようなものになっているなと思う。ただ1人だけで行われる活動というより、基本的には自分が主体だけれども第三者よりももっと外側の存在が見ているかもしれないし見ていないかもしれない活動という意識になって、手紙への態度が変わったかなと思う。それはつまり手紙を読む推し君の存在を認めつつあるということであり、見られているかもしれないという緊張感・あるいは親しみを持って執筆することに繋がる。かつては偶像として動かないままでいることを相手に望みそして自己の中に形成された相手の像を崇めていた「推し活」であったが、鳥取環境大文化祭やヤバスピ鹿児島を契機に偶像が動き出した感覚がある。そしてその変化を自分は許せるようになった、それはかつての私には考えられないことで、そしてかつての推しも昔ではしなかったことだろうと思う。

何か壮大な話になったが、ライブでの出来事やそれに関する心情を逐一書き連ねること(これの結晶が手紙となるわけだが)これが自分の思想(と呼んで差し支えないもの)の土台になっているような気はしている。

 


◎手紙を通して一番伝えたいことは何ですか?

うーん、自信持て!とかかなぁ

もっと私情でSNS更新しろ!とかも思ってるかも、宣伝ばっかなんだからもう。好きにしたらいいけどねっ

貴方が貴方のままでいてくれるだけで大好きなんだよなぁ…特に何も望まない、ただ貴方らしく振舞って欲しいしその上で何か障るところがあるのなら気にしないでいいよと思ってしまう。ただ、俺が何を言おうと彼は彼で勝手にしたいことをしてくれるだろうという来歴と信頼があるから、結局本人宛に渡す意味は無いのかもしれない。

そうだなやっぱり、貴方を見ている人がここにいるよとは言いたいかも。昔髪が短かった頃、演奏する上で気をつけていることは?と問われて「目立たない」と答えていた人だけど、目立たないことと無いことは決してイコールではない。無くしてから気付く人の有難みを無くす前から気付いてるだけって感じ?

「ボーカルと愉快な仲間たち」「ボーカルと楽器隊」ではなくてバンドなのだから、そういうファンが居てもいいよね〜と思う

 


◎手紙について推しから何か反応を貰ったことはありますか?

これがですね、直接言及されたことは無いんですよぐへへ(ここ惚気ポイント)

わはは、いくら愛しても何も反応が無いのハチャメチャに嬉しすぎる…

わたくし愛情に関して特異な自覚があるので、どれだけ苛烈に愛しても返答が無いということが嬉し過ぎるんですね、愛情においてのみ一般人になれる気がするからです(実際はそう勘違いさせてくれているだけなんだけど、嬉しい)

 

とはいえ手紙が全く読まれていないだろうと言い切るのもまた難くて、アカデミズムの血でしょうか(と記すことで断定を避ける曖昧な表現を正当化しようとしているのだが)、どんどん服装がかっこよくなっていったりやって欲しかった企画が特典として出たりとかに関しては、直接意見を届けている人々の一部として参考にされた部分もあるのではないかなと書いても良いのではないかなと思う部分も少なからず存在しております。

めんどくさ、大人しく俺のおかげで推し君はカッコよくなりましたって書けよ やだよ どうすんだよ色恋沙汰だったら 別にいいけど ウス

 

じゃあガッチリ反応貰ったら嘆くのかと言われれば全然今の俺なら諸手を挙げて喜べると思う、多分。昔なら無理。生きたいように生きた結果ならどんなものでも受け入れる、というスタンスがあくまで第一かな?。相手を思いやる優しさも彼の中にありそうだけどそれと同時に俺のしたいようにやったったわって言ってる姿も想像出来て、その複雑性こそが惚れた要因なんですわ

こんな倒錯した夢小説を読まされる方の気持ちにもなって欲しい、全然言ってる意味分かられてないと思う ええんですわIt's my lifeなのでね、ヤーッ

 


◎手紙に関する事件があったら教えてください。

特にない!

御本人達と絶対関わりたくないマンだから尚更何も無いわね

 

強いて挙げれば…

こういう曲順にしたら最高だなって妄想しました〜って書いたら、1週間後のライブで順番そのままでは無いけど挙げてた曲全部聞けたってことがあって、それはめちゃくちゃ思い出深いな〜ずっと抱えていたい記憶。意外とセトリ決める時のネタ困ってんのかなって思わなくもないんだけど、偶然だとしてもシンプルに好き曲が聞けて嬉しかったな。

 


◎あなたにとってお手紙とは何ですか?

一言で言うなら、人生の表出とでも言うのかなぁ。

何か音楽を聞いたりインタビューを読んだりして考えたこと、までは誰にでもあると思うんだよ、どんなに単純なこと「かっこよかった」「おもろかった」とかでも何かしら思うところはあると思う。でもそれを書く段階まではいかないんだよね。Twitterにも断片的にしか書かないと思うし、多分だけど語るための言葉を持たないから書いていないという人も一定数いると思う。

 

自分にとって、文章を書くということはいつからか当たり前になっていて、書くことは生きることだ、な〜んて述べてもなんら違和感はない程だ。そして自分にとって好きでいるということは、その人のことが日常でふと思い出されたりあれ好きそうとか考えたりこの話推しのあの作品に似てるなってこじつけたりすることなのだとも思う。推しとは、考え、哲学する対象なのだ。その推しがたまたま歴史上の人物とか自然界とかだと研究者とかその端くれとかになる…ってことなんだと思う。

 

好きでいることは考えること、書くことは生きること。その考えた結果を人に見える形にしたものが手紙であり、「ファンレター」の形をしている僕の脳みそ、人生といったところだろうか。

当初は、ただ貴方はこんなに素敵ですよ!と伝える為それをわかって欲しいが為に書いていたし出していたけれど、目的が変わったというか無くなったというか、日課だから出すみたいな感じになっている気がする。出席確認の課題提出みたい。書くことの方が自分にとっては大事なんだなって考えに至ったから、相手の振る舞いに関してはどうでも良くなってる感じがある、好きにしてくれ〜

返信はないけど返答を憶測ででっち上げて満足しているし、イマジナリーフレンドってこういう感じなんだろうな〜って思う。

 


◎推しへの手紙について語りたいことがあればご自由にどうぞ。

何故邦ロック界隈でコンスタントに手紙送り続けるのか考えた時のことを昔のツイートから引っ張ってまとめておきます。その時丁度音楽の歴史に関する本を読んでいたのでそこから考えたこと。

 

音楽は観るものから参加するものへ(コンサート→フェス)進化してきた。要因はというと音響技術の向上によるもので、デヴィッド・ボウイの派手な衣装は観るものだった名残だし、それが段々とTシャツとかラフな格好になったのはスポーツ化しているからだ、という見方がある。

僕は美術畑出身の感覚でライブでは恐らく美術館と同じ様な振る舞いをする。観るためには自分と鑑賞物に距離が必要になるのだが、しかし同時にファンレターという参加的性質の行動も楽しんでいる。この場合、距離が保たれたライブ中の観測によってその感想を書くファンレターでの参加が成り立つのだが、次にライブに行った時手紙による参加から観客としての観測に戻る時の「距離を犯した感覚」が嫌で、手紙読むなって思っていたんだな。は〜納得納得。


高校野球にお熱な日本人の態度は熱中して無私な感じが宗教チックっていう話を聞いたことがあるが、私はスポーツ観戦もスポーツも特筆するほどの好きでは無いから、音楽に参加するフェス式とその型の人類(=スポーツ的)とは合わないことも多くなってしまうのかもしれない。繋がりたくない僕らには日曜日がずっと来なければいいのに、と書いてみるが言葉遊びなだけで別にそんなに日タグを恨んでいる訳では無い。

 

相手はれっきとした生き物なのに、人間なのに、僕は多分観測する物として見ているんだろうなぁ。論理だけでない感情的な人間部分が好きだという自覚はあるのに、あまりに対象化しすぎている。つまり自分の好きなままの“好きな人”でいて欲しいと思いすぎて、ありのままの推し君を受け入れることができているだろうか?ということだ。

動かない絵画とか彫刻とか無生物の芸術は古代からあるけど、生身の人物をここまで芸術たらしめる行動(アイドルとか)は意外とココ最近のものなのかもしれない。テレビとかYouTubeとか映像が民主化されてないと生身の人間の生身を体感できないからそりゃそうか。

視線は人を物にする。

かといって人間としてありのままの演者と関係を作るとなればそれはただの友人で(だから友人になりたいと思う人は出待ちが出来るのかもしれない)、観客がお金を払うので演者が美芸を与えてくれる、という封建的な享受関係がある以上、平民から貴族への尊敬の眼差しは貴族を偶像化することになる?


中世西欧相互契約型と見なしたら…そうすると立場が対等になるから人同士の関わりにはなるが、尊敬の念が消えないだろうか。皆平等で互いに尊敬し合う条件下でなら人間同士の交流が一応は叶うかのように思われる。そもそもファンとアイドルの関係が不平等だから、人間として関わり合うことなんてできないんじゃないかと思ってしまう。形としてはお金と芸術の交換をしているが、我々は多くを貰い過ぎているのでは?演者から貰うキラキラした思い出・宝物はどんどん膨れていきついには生きる意味にまでなる。増幅させたのは自分だが、結晶を投げて肥大化させる原因を作ったのは向こうだ。この溢れる愛は全て自分の身体精神組織による腫れであり、1の刺激を100にしているのは自分なのに100を貰ったと勘違いする。100を貰った!と思う芸術品・作者への尊敬が起因となって同じ生身の人間を物質化させてしまうのだ。

当人を想う愛が当人の人間性を奪う、愛の倒錯。人を物扱いすること、愛の究極も蔑の究極も同じことなんだ。何が無償の愛だ、愛なんか無償で当たり前じゃないか、相手の本質を無視するからこそ愛になってしまうんだ。なんなら有償の方が、対等関係を望んでいる分幾分かマシなのではとさえ思うよ。誰も、何も、愛していたくない。
誰も傷つけたくないなら誰のことも愛さないで生きなければ。敬意はそのまま壁となる、その壁はまた人と人との間に非対称性を産むものだ。私と貴方は同じ人間で、でもどうしようもなく別の人間であることが尊敬する理由の根源だ。同じ人間で居たいけど不躾になりきれないから、僕は仕方なく貴方と別の人間で居ることを選んだことになっている。

 

 

 

はい、多分大体書いた、何かあったら(なくても)感想フォームに送ってくれるととてもとても嬉しいです。分かんねーよもっと分かりやすく書けやカス!とか全然大歓迎です。これもっと知りたいとか言われたら加筆するかもしれません。

 

最後まで読んでくれてありがとう。私の文章があなたの体内で時限爆弾となって生き続けますように、いつかふいに爆発してあなたが私を思い出す時がありますように。

【ハンブレ】ヤバスピ初聴感想まとめ

ハンブレッダーズ 3rd Full Album「ヤバすぎるスピード」

 

メモ書きしたのをそのままコピペ。

ドラムの人に出したファンレのままだから、主に音像のことについてだけ(歌詞書いてない人に歌詞の考察書いてもねぇ)。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

○全体
最初聞いてむっちゃ音良い!ってビックリした

特にスネア、なんだか爽快って言葉が似合うような音だな
「歌詞を伝える」というスタンスは同じでも、終始シンプルという形からメロディに沿った色々なリズムを駆使してそれが逆にメロを目立たせることになる表現、っていう風になってるのかな

面白いことを色々していて高彩度なんだけどでも決してうるさくない…という感じ。


あとスネア連打するとことかハイハット連打とかの連打系のところ毎回聞いててうま…って思う、ドラム叩いたことないけど。なんでだろう単純な動きだけど別に簡単ではなさそうだからかな


ブックレットの表紙の、メンバーの写真のライティングの方向が揃ってないのがいかにも切り貼りしました!みたいな低予算映画みたいな雰囲気で開けた時めちゃ笑った


全体的に速い曲だから、ユースレスマシン収録のゆっくりした曲が同じセトリ内で隣にあると映えるのかもなあとか思いました。

 

 

〜起きろ
サビのスネアが好き
サビ終わりの「起きろ!起きろ!起きろ!」の裏(!のとこ)でシンバルがなってるのがキジマさんっぽいなぁって思う

 

〜ヤバスピ
スネアバスバスいってる、抜けていく感じ?気持ち良い音色だ
コーラスが本当に好き、声が好き、意識して聞いていたら本当にキジマさんの声しか聞こえなくなって怖い
サビ終わりにクラッシュがブレーキかかるイメージが沸いた なぜ でも好き、良いなぁ
ラスサビ前のバスドラとシンバルだけになるとこ 引き算の美的なものを感じる 声が聞こえてくるんだな〜と
最後駆け抜けていく感じが聞いてて楽しい

 

〜いいね
こっちはスネアが丸い音な気がする チューニングなのか機材なのかマイクなのか…分からないけど曲によって使い分けてるのかなぁ
サビ終わりの方でメロディの裏で鳴ってるスネアが素敵
間奏ギソロ後のドラムロールすごい、とても、うまい(失った語彙力)
Bメロタム良い シンバルで煌びやかだけど落とすとこは落とす感じ好き
そうか…これが名刺なのか…しっかり受け止めたい

ハイハット開いてってる?

 

〜才能
1Aの後半、1B、1番終わりとかのドッドッドッていうバスドラ好き
「愛の無い時代に…」の不規則というかメロに沿ったというか裏に居るスネアめちゃくちゃ好き
イントロとサビのスネア、ラスサビ前とかちょっと不規則っぽい感じで色々やってて面白い、色々やって暗さ一辺倒にならないようにとブックレットでは言っていたと思うけれど、掴めない寄せ付けない感じが暗い内省的な歌詞と合ってるなというように思った
ラスサビのとことか、3拍目スネアとバスドラでドンッドタッドンってなるとこ好き

〜パーティーを抜け出して
音作りがイカついけど歌詞はなよなよしてるってのはガチャガチャと同じだな〜と思うけど全然違った感じになってこんなのもあるのか〜と驚いた

2Aがシンプルでびっくりした
2サビ終わりからは倍になるけど、逆に1番と2番で差がないのが、歌詞の状況のな〜んにもち〜っとも進展してない感じが出てて面白いなと思った

ドドドドって終わり方好き

底抜けに明るい感じのギター音色


〜アイラブユー
阪急電車だ!の「だ!」のとこだけコーラスのお声がちょっと高くなっててハイテンションな感じがでてて良い
スネアの音「タッ!」と「マッ!」の間みたいなこっくりした重め?な感じの音してる多分
Bメロ ギターストロークのリズムと一緒に聞いていて気持ちいいスネアとシンバル
「君だけはまじで最高」のとこ好き (ライド?)シンバルの音のきらめく感じが歌詞の真っ直ぐさを引き立ててる感じがする、歌声は強い語気だから尚更
終わり方が意外、駆け抜けてスパッて終わる感じかと思ってた


〜AILOVEYOU
イントロのドドんって重なるバスドラ好き
初聴時にはそう来たか〜と思った、ピコピコ全開かなとかボアダムっぽいやつかなと思ってたけどそうでも無かったな
サビでチッチッてライドシンバル?あんま見ないような気がする でも金属音は機械感出て合ってるな〜

AとBの間のフィルか、2Bの手前でちょっと跳ねる感じのとこ好き今までの流れを崩される感じがする
2B「記念日には」 ふちかんかんするやつ好き

スネアがランダムっぽいというか歌うようなって言えばいいのか、そんな感じのリズムであたふたする感じが出てるかもなと思った
ギターソロの裏でイントロのバスドラと同じフレーズ
12.12.1234でリズム取りたくなる感じ なんで?

 

〜ヒューマンエラー
初聴時は、盛り上がったり落ち着いたり展開が忙しいなめちゃシンバル多いな〜という印象
ブツっと終わる感じのメロディ、4拍っぽくないというか語りの方が強い感じがするな〜
これもスネアバスバスして爽快な感じ
Aメロドッドッド ギターのストロークに合ったバスドラ好き なんか不可思議な感じ
Bメロ ドコドコ色々連打してる 2回目タム連打だ、ライブで見たい
関係ないけどイヤホン変えたからなのか耳が良くなったのか今回めちゃめちゃドラム叩いてる空気感が想像出来るようになっててめちゃくちゃ嬉しいしその分だけはやくライブで見たいな〜という気持ちが増す
間奏絶対かっこよくて今からハラハラドキドキしている
2サビ終わりからの展開が好き 忙し〜でもおもろ〜


〜カラオケサマバケ
初めて聴いた時、始まり方に驚いたのはオーケストラっぽくしたっていうところだったのか
サビ前タンバリンだ 自分じゃ使ったことないけど確かにカラオケだ いいね

サビごとに手数が増えて鮮やかになっていくのいいな、1番サビとかバスドラだけだからなんか独唱っぽくなって1人の世界という感じがする 心臓のドクッドクッて音のようにも見えるかなと思った

コーラス、起きろ!とヤバスピだと仲間になりたそうにこちらを見ているくらいめちゃくちゃキジマさんの存在感がある(好き)けどカラオケサマバケじゃ全然気にしてなかった 居る?あっ居るかくらいの感じ
コーラスの中で存在感があるのもやった〜嬉しい〜助かる〜って感じで好き


〜東京
ここだけ「ヤバすぎるスピード」に反するというかゆっくり。でも全曲早くてもフワフワと軽い地に足ついてない感じになると思うから、「東京」がイカリのようにしっかりセーブしてくれることでアルバム全体がなんというか引き締まった印象になって良いなって思う

帰宅部の記事を見てから意識したけど Bメロのタカタカタってスネアのとこ好き ドラムの話聞けてとても嬉しかった、もっと語って涙
ラスサビも真ん中で一番盛り上がって最後はちょっと落ち着いてゆったりとした後奏に繋がるのが印象的 結局変わらない日常って感じだ なんだこれ書き出してみるとこの表現めちゃくちゃ上手いな流石すぎるドラムでこんなんできるのもしや音程って要らないの…?なんて戯言も述べたくなるよ
都会に憧れてから東京に行くセトリやって〜〜

 

〜光
1Aから忙しくて最初からクライマックス!って感じだな〜カウントダウンTVでちょっと見れたけどやっぱり忙しくて笑った アニメ映像でショートバージョンになることはあるけどそのまま演奏してたからちょっとびっくり
サビの後でにタム?バスドラ?がダダ…ダダ…ダダダってなるとこが好き
ラスサビ前で照明を浴びながらポーズ決めてるキジマさんが見える…
フレーズは結構違うと思うけどリズムの取り方というかアクセントの付け方とかラスサビの入り方とかは確かによくみるやつで、インディーズっぽさと半々というのも分かるかも
最後「胸騒ぎなのか」のとこ好き バスドラのドッドッってメタファーもあるかもだけど一歩ずつ踏みしめていく感じ
終わり方も好き ブレーキをかけてる感じでもなく聴き手を置いていくわけでもない終わり方、不思議

 

【ハンブレ】全体主義へのHow to 反骨精神_2nd Album「ギター」

○はじめにのはじめに

3rd Albumの告知が出たので焦って筆を執った次第です。

15000字超えてるし分からせるための・人に読ませるための文章じゃないとこもちょくちょくあるしまあ極度な暇人のためのものです。パロディとかスラングはそのまま使いもするけど解説もしたすぎるので注入れました。

 

 

○はじめに・まとめ

僕が2nd Album「ギター」の初聴時にまず思った感想がタイトルの通りです。

そして時間が経った今でも的を得ているなと我ながら思います。

 

 

なんで全体主義ナチスドイツとかムッソリーニとかのやつ)の名前を挙げているかというと、現代(まあコロナ前後くらい?)において人類は再度全体主義に陥り始めている:世界大戦も近いぜ!みたいな論が最近あるらしくて、

「ギター」がそういう時代背景を多分に反映した作品だと思ったからです。ポピュリズム台頭とかもそう。

 

だから僕はなんとなくこの「ギター」という作品と、同時代に生きて鑑賞できていることが凄く幸運なことだな~などと思っています。

 

 

ビートルズは今聞くと新しくないみたいなやつ、そりゃ~当時ビートルズが最先端だったんだから今の子が聞いても…みたいな理論ですな。

この暗い社会の中で、反抗して輝くとまでいかなくても、まだ闇に染まり切っていない人たちと肩を組む安堵のようなものが、ハンブレッダーズの音楽にあるようなそんな気がしています。

 

 

お察しのように盛り上がってうぇい系じゃなくて理論派とでも呼ぶのかそっち系の邦ロック好きなのですこぶる日タグとの相性が悪いです。そんなことはねぇか。

 

 

 

 

この記事は多分、なんでそんな風にに思ったのかな~ってことについて根拠を挙げながら述べていく批評的なSomethingです。

あと普通に全体とは関係なく思ったこと考えたこともこの機会にまとめてみよう

はいですます体終わり。

 

 

○本論

M1 再生

「不特定多数に向けられた歌に興味は無いよ」

 

前述の「アンチ全体主義」の立場からあらためて歌詞を眺めてみると、「不特定多数に向けられた歌」ってプロパガンダ的なものと捉えることもできそうだ。

そこまでいかなくても、いわゆる流行りの歌で中身がありふれたやーつみたいな歌のことを指してはいると思うのだが、こういう万人ウケする物に安易に乗っかれない気持ちを描くことは(つまり少数であり続けようとする意思は)中々失われがちな世の中であるなどするのかなとも思う。

 

 

「僕の感動とお前のエモいを同じにすんな」

 

これは僕個人の意見だけれど、感情に名を付ける時の違和感こそが文章を書く始まりだと思う。この「僕」が心動かされたことを「エモい」で表現してそれに納得してしまえば、普通に無難に世の中で言うのと同じ種類の感動で済んでいたのであろう。でもそれじゃダメだ、何かが違う、となって人は初めて自分の感情と向き合い、人によってはそこから適切な表現を探し始める。

大衆に迎合しないことは素晴らしいとかいうことを手放しに言うことは出来ないけれど、それでも自分自身に正直に向き合うことは、人間関係のいざこざを生み出しにくくなる気がする。それは多分生活の質向上なんかにも繋がって…というか普通に言語弱者が多いんだろうな。邦ロックが歌詞重視なのも、皆自分の言いたいことを素直に言おうとしない或いはそもそも模索する機会が少ないからなのではないか、と思うなどする。社会的弱者は言語的弱者であるっていう論もTwitterで見かけたことがあるし、まあ格差拡大的なことなんだろう。

 

MVでヘッドフォンを付けると画面の色が反転するというシーンがある。頭に装置を付けて世界の色が変わるという表現はなんとなく洗脳っぽいマイナスの場面を表すっていうイメージがあるけれど、それ程劇的に変えてしまうことが視覚的に表されているんだな〜とも思った。

MVで言うと、バンドメンバーの居る世界(視聴者もここ?)×清掃員などのMV世界×ヘッドフォンの中の世界がそれぞれ独立していながら空間的には同時に描かれている。これもCOLORSの3分割画面に通じるものがあるのかもしれない。バラバラでありながら時にひとつに、その適度なバランスが大事なんだろう。

 

 

 

M2 ギター

「小難しいことばっか考えて 馬鹿になれない君と僕だけの歌」

 

パッと歌詞を見た時に、G.オーウェル1984」の前半みたいだな〜と思った。この後君はビッグブラザーに傾倒していってしまうんですが…と読んだフリをしていますが普通に漫画版なのでよくは知りません

でも面白かったので興味ある人は読んでみるといいかもしれない、監視社会のディストピアの中で主人公が抗おうとして最初は仲間も居たけど逮捕されて…みたいな話

1984」の中で、感情を制限するために言語を規制するシーンがあったはず。M1 再生での「エモい」と同じようにここでも、「小難しいことばっか」考えず安直にそのまま「エモい」と使ってしまえば良いものの考え込んでしまう、そういった人間活動について触れられていると見ることができる。大衆向けの歌/君と僕だけの歌、という対比も産まれてくる。

ここで冒頭の「アイドンワナダイ 狂っちまいそう」を踏まえると、大衆に自分の感情を合わせていくことはさながら死に至る病*1のように苦痛を伴うものとして描かれる。死にたくない、このままでは狂ってしまう。自己崩壊に苦しむ語り手は、いくら人類が社会性によって生存してきたとはいえ、社会性一辺倒であってもいけないというメッセージを伝える。

このアルバムは、一貫して個人が個人であることを肯定している。

 

 

 

M3 BGMになるなよ

「名前も顔もない人に」

インターネット、匿名社会なんかが浮かぶフレーズだ。ただもう1つの見方、悪い意味での大衆という解釈も可能ではないか。名前がないのは番号で充分だから、顔が無いのは都度感情を与えられるから、なんていうSF空間での言葉にもなりうる。

サビでもう一度同じフレーズが繰り返される場面では「名前も顔もない人の 心ない言葉は」とこれまた自我の無いような生命体のように描かれている。

 

 

「誰かを憎めば楽になる こんな世の中で」

昔の不況時では誰かを憎んで憂さ晴らしすることがホロコーストとして大々的に行われていたという面もあるでしょう

昔だけじゃなくて別に今だって、蔓延る誹謗中傷を投げつける人の中にはそういう憂さ晴らしの為にしている人も居るのだろう。そこで如何に社会全体でドンパチ起こらない平和な社会を作っていこうかっていうのは、割と深刻に人類の課題な気がする。(そこで国際連盟は失敗したわけですね チェンバレン*2ばかりを責めることもあんまりできない気がするけれど、と歴史の授業は置いておいて)

そこで極めてストレートに「愛と平和を歌っても 相変わらずな世界で/変わらず愛と平和を歌うのが 僕の戦いさ」と歌うハンブレッダーズ。よくカッコイイことをそのまま言ってもさまにならないバンドだから…などとボーカルの人が言ってるイメージがあるけれど、ハンブレなりのストレートさを感じてすごく真っ直ぐで良い歌詞だと思う。

Love and Peace, Rock music というとジョン・レノンが脳裏に現れる。*3露骨に政治的だと忌避される感が何故かある国だけれど、それならその婉曲なままで、ときちんと正当なRockの系譜を受け継いでいる感がある。

 

「逆接の接続詞ばかり」

確か雑誌のインタビューで「ムツムロさんの歌詞の特徴は?」と聞かれて“けど”とか“でも”とか逆接が多いかもしれない、と話していたのを踏まえると続く「大丈夫 君は生きていたっていいんだ」の「君」には若い頃のムツムロさんと同時に僅かながら現在の自身も含まれているような気がする

17歳の自分に向けて歌詞を書いている、という話は随所でしているし、17歳のあきらむつむろって多分少なくともコピーバンドはやっている段階でオリジナル曲も作り始めている位なのか?

ハンブレッダーズの曲は「君」と出ていてもそのシチュエーションが明確に定まらないとこが良い。ってのはSUMMER PLANNINGで初めて意識したこと。メジャー以前はもっと恋愛色の強い「君」で、なんならここに惚れて聞くようになった所もあるのだがしかし、時を経るにつれて恋愛っぽい曲も段々と“「とある2人の関係性」についての曲”という色が強くなっていくと感じている。それはまた別の話。

 

 

「生きててよかった そんな夜はいくつもあったけど」

フラワーカンパニーズ「深夜高速」を踏まえての歌詞。*4

でも深夜高速と聞いて浮かぶ映像は銀河高速のMVの高速道路だなぁ。

深夜高速よりちょいと前向きというか、素敵な夜はいくつもあったけど多分まだ更に上があるというように、既に所有している自己の幸せを認識した上でもっと!という生き方は、とても良いと思うし好きな世界の見方だ。

 

 

 

M5 スローモーション

「生き急いでいたい気持ちと そうでもない気持ちが/絶妙なバランスで混ざりあっては」

僕の昔のメモにはここを指して「アンチ画一的人類」って書いてありました。複雑性あってこその人間だよなぁ、というのは僕の自論。画一的な動作をすることにおいて人間はロボットに劣るのだから、じゃあ人間の特性は不合理な複雑性にあるのでは?*5

 

「生き急いでいたい気持ち」と「そうでもない気持ち」であって、「ゆっくりしていたい」と「そうでもない」だと聞く速度が違ってくるな、題がスローモーションなのだから「そうでもない気持ち」の方が本心というかメインの感情になってくると思うのだが、あくまで明確に提示しないという描き方をしているんだな

「そうでもない」という部分否定も婉曲感が出ていて良い、not so fastってところか 真反対のベクトルであることは匂わせながら、ベクトルの絶対値は必ずしも一致しないみたいな感じがする表現だ。相反する感情のどちらも持っていて良いというよりはむしろ反・二律背反、多元主義ですらあるのかもしれない。

「生き急いでいたい気持ち」は7拍で実はその反対の気持ちよりも1拍だけ多く尺を取っている

 

アンビバレントな感情については、欅坂46アンビバレントって曲を出していた。もっと恋愛寄りというかアイドルとファンみたいな関係性が強調される歌詞だったと思うけれど、全体の利益と個人の利益を天秤にかけるコロナ禍の私たち、みたいに全体と個人のバランスが問われる社会になってるんだろうなぁ。アンビバレントのサビは他人にどう思われても知らんってメッセージなんだがそれでも最後には「だけど1人じゃ生きられない」と続く。やはり社会性に反して個人性一辺倒でもいけないらしい。

いやそもそもコロナ禍じゃなくても、農耕社会から都市に出てきた人類が等しく抱える悩みなのかもしれない。現代になって出てきた都市のマイナス面。地方は情報社会というか直ぐに噂が広がる、その意味で個人の感覚が希薄だ。都市は村社会から人を自由にしたが、*6そこで人々は寂しさを抱える。よく聞くところでは核家族問題なんかもこの流れにある。個人を尊重しすぎた都市において全体尊重の反動波は、実はもう壁の向こうに来ているのかもしれない。

 

区間快速の速さで」

区間快速って少なくともJR東日本じゃ聞かない気がするのだがどこにあるんだ?と思ったらバチくそJR学研都市線が出てきて焦りました。*7

特急よりは遅くて各駅停車よりは速いんだろうなってことは分かるから問題は無いんだけれども。

1番生き急いでいる特急でもなくビリの各駅停車でもない、ふわふわとそれなりに生きてきただけの人。ボリュームとしてはここが1番多くて、そこに対して伝えかける言葉はより多くの人に響く。

「すれ違う電車に思いを馳せながら」と聞いて、自分の乗っている電車は止まっているだろうか?それとも動いているだろうか? 自分は、区間快速が駅に停車していてホームの向かいの線路を使って特急が自分を追い抜いていく情景を先に思い浮かべる。勿論車窓を眺めていたら遅い各駅停車を抜かすという景色を思い浮かべる人もいるだろう。或いは同じ向きではなく逆方向へ走り抜ける電車同士でも良い。なんだか深層心理の現れのようにも思えるが、どちらにも投影しうる表現でこの歌詞が描かれているということに変わりはない。詩歌や俳句、今で言えばこのMVの無いアルバム曲ではこういった細部が曖昧で想像の余地がある、これを面倒と捉えればそれまでだが、読み手によって様々な解釈が可能であるというのはまた懐が深くて豊かな作品であるようにも思う。

 

 

 

M6 STILL DREAMING

「身の丈にあった言葉しか/リアリティがないというなら」

題のDREAMINGとリアリティが対比になってるな〜

何かを語ると「じゃあ自分はできるのかよ」という野次が飛んでくる、なんて愚痴が浮かぶフレーズだ。あまり強い言葉を使うなよ笑弱く見えるぞ笑的な藍染惣右介(笑)が仮想敵っぽい感じ。*8きちんと言語化するなら、どうせ無理だよと諭して夢を潰してくるスれた大人達、と言った所か。

いくつになってもまだ夢を見ている、誰がなんて言ってこようと、歳食ったなりの夢がまだある。ここに「こどものままでおとなになろう」Spilitsを見出すこともできそうだ。*9

例の燃えた“身の丈”発言は2019.10らしい。*10この曲がテーマソングになったポカリ提供CMは2021.11辺りだそう、なので多少なりとも意識されていておかしくないかな? 見開きページみたいに原型がとても古い可能性もあるけれど。格差容認かおいコラってんで燃えたものと記憶しているが、格差が広がっていって戦争へというのは実によくある動き。WW2じゃ一発逆転を目指してどいちゅくんは戦争仕掛けるしかなかったわけですね、まあ地球の土地は有限で更にめぼしいところは既にエゲレスやらおふらんせ様の植民地だもの逼迫くらいするわよね。貧富の差は戦争の度にリセットされてたんだが現代じゃ戦争がなくなってただただ格差が拡大していくだけ……ピケティ先生『21世紀の資本』のエアプです。すぐ歴史に走るけど許して、現代潮流とアルバム「ギター」の関わりを話す為には現代潮流を作り上げた過去に触れないといけないんだもの。

何かと角が立つネット社会を考慮して今の自分の実態にあった言葉しか使えないとしたら、それはきっととても貧しい事だ。言葉があるということは、それでしか表せない物があるということ、1人では無いということだ。私欲のために狩っていいものではなくて、「人伝に聞いた言葉」でもなくて自分から使いに行くものなのだと思う。最初からパーフェクトに自分の気持ちを表せるはずもないんだけれど、「お利口で堅苦しい君のその口実」みたいに最初は他人の言葉を借りながら段々と自分なりの言葉を身につけていけば、困らない生活になることも多いんじゃないかな〜と思う。感性派を否定している訳では無いからあまりに思想押し付けた言い方になってしまうのも避けたいんだガガガ。

 

 

 

M7 COLORS

「すれ違っても いがみあっても/分かり合えない夜が続いても/僕らは敵じゃない/それって素敵じゃない?」

多元な僕達を全て認めて包み込むかのような歌詞、しかも落ちついた所で聞かせるのでよりインパクトが強くなる配置になっている。

カラフルっていうとなんとなく良いイメージがある。COLORSもそのポジティブなイメージの上で描かれていて、MV最後のライブシーンも鮮やかな照明だし実際にライブでも虹色に照らされていて(ミラーボールが出ることもあり)見ていて楽しめる。時事に結びつけるならカラフルといえばlgbtフラッグがあるけど、性だけじゃないちょっとした思考の違いすらそれもそれで良いよねと認めあっていくような、そういった種類のつまりもっと大枠な承認が現れている歌詞なのではなかろうか。

アンチ・セクシャルの観点からボーカロイドシーンを分析した 鮎川ぱて『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』文藝春秋刊 の中で、モザイクロールMV分析などセクシャルと色を扱っていました。ダイマです。アンチ・セクシャルな感じが若者にウケてボーカロイド文化が育まれていったとして(雑な要約だなぁ)、その若者の世代の中にハンブレッダーズのメンバーはドンピシャだろう。けいおんアニメ1期が2009年で、2009年のボーカロイドヒット曲は炉心融解、裏表ラバーズなど、2010年ならマトリョシカ、ハッピーシンセサイザなどなど丁度ボカロ興隆期くらいに差し掛かっているはずだ。メンバーがボーカロイドの話をしているイメージがあんまりないのだけれど、学年の中で誰かハマっててもおかしくない位の距離感でボーカロイドが存在しているというのは驚きだ。まだオタク文化としてアニソンの方が強かったのか…?

 

 

「頭でっかちになってしまいがちな世界さ」

理論で考える近代の限界の最たる例が恐らく地球温暖化で(資源は無限じゃないから無限に発展はしないことが分かってしまった)、そんな感じで現代論というか、自分の身体に立ち戻って考える・身体を取り戻すっていう動きがここ最近の風潮であったハズです。ちっとも名前覚えてなくて胡散臭いんですが、そんな壮大でなくても「頭でっかち」はいわゆる意識だけ高い系とかのことも指せる。

理屈でない部分、感情や衝動性を大事にしているのだろう。ワールドイズマイン「理屈こねてもしっくり来なけりゃ」・フェイバリットソング「誰にも知られたくないのに/誰かに分かってほしいんだ」「きっと何かが変わるはず」みたいに、日頃僕らはうだうだ考えてしまうけど直感に従ってみるのも悪くないというひとつの観点が示されている。理屈では周りに合わせた方がいいけど感情では個人の感じたものを大事にしたい、という対立に持ち込めるかも。やはり蔑ろにされがちな個人を尊重してくれるそんな空気を感じる作風だ。

 

 

 

M8 名前

「正しさ 優しさ 投げ出しても/ただひとり君の味方でいたい」

皆の言うことよりもただ1人、目の前の君のためだけに僕はァ…!君の為なら世界を捨てれるんですよこの「僕」は!!これを愛と呼ばずしてなんと呼びましょうゾ!!うるさいですね

どうでもいいんだがライブで見たら意外とドラムが忙しくて驚いた。CD音源では音を絞っているらしいけどテクニック的な面を見せている曲ではあるらしく、シンプルなフレーズでは足せない種類の色・特性が表現されているのではないかなぁ

 

空想「心を繋ぐテレパシー」

↔現実「ふたりを結ぶ糸電話」

ダンジョンに合わせたら糸電話くらいになってくるのだろう、ということで具体側換算。あと糸電話だとより音というのが強調される、後の「その響きを手がかりに」とも縁語未満くらいな関係が生まれる。

 

「君の名前を呼ぶことが/ありとあらゆる魔法より難しくて」

スクールマジシャンガール「君がいつも僕にかけるのは/名前を呼ぶだけの黒魔術」を彷彿とさせる。さよならも交わせないならそりゃあ名前なんてもうおよそ無理なのではとさえ思う。

これも下の天国で述べるように、「永久と瞬きの狭間で」みたく未来性・永遠性を孕んだ表現になっている。またアイソレーション「永遠なんて御免だね」で否定されるわけなのだが〜永久を語るようになって少年から青年になった感じがある、でもまだあどけなさも感じる、そんな雰囲気だ。自身の感情記述に留まっているところは変わらないからかな。

 

 

 

M9 天国

本論とはあんまり関係がないのだが、この曲涙が出るほど尊い関係性を歌っていてビビる。

「気まぐれな行為をした」「手探りで灯りを消そう」なんて聞いた日にはえっちすぎてえっちだ〜!って言いながら失神しますぜ兄貴。

ヲトナ…な雰囲気出されて普通に無理

 

眠るため消した電気だ。悲しみを思い返して泣くためじゃない

工藤吉生『世界で1番すばらしい俺』短歌研究社

 

具体「モノクロの映画」「誰もが泣くと評判のドラマで」↔抽象「君と天国に行きたい」「君に全部を捧げたい」

っていう構図は

カラオケ・サマーバケーションの

具体「もしもジュディマリだったなら」「ぬるくなったジンジャーエール/間奏で49秒!?」「僕はデンモクを取った!」↔抽象「君の笑う顔だけが夏休み」

と似ている気がする。

カラオケ・サマーバケーションはこうして抜き出してみると具体物列挙が多いんだけど最後の1番聞かせる所では抽象で終わらせて願望を滲ませてサビ部分が終わっていく感じ。別の曲でも似た構成のものありそうだけどとりあえず最近思ったのはここ。

 

天国は願望パート多めなんだが同時に「時の流れが追いつかない場所で」とか形而上的空想的な言葉選びも増えていて、そういう所が一見ゴリゴリ恋愛曲っぽくない爽やかな印象を持たせているのかな〜と思う。全然解釈によってはむちゃくちゃエロだと思うんですがでも普通に聞いてるだけじゃ肉っぽさは感じないと思う。付き合ってないけどお互いに「君のほっぺたのチークに」のように具体的に描いていない分純異性交友の頃のアマズッペェ!感が薄れていて、物足りないような気もしつつ新たな印象があって良い感じ。大人になったねっていうと言葉は違うんだけど(元も別に子供100%って訳じゃないし)、なーんだかどことなく成熟を感じる。天国とか「僕の人生のエンドロール」とかの未来視点が入ってるのも、極端に言うならおじさん的というか、大人を感じさせる要因なのだろう。

仏教は日本だと老人が熱心とか法事とか何か“死”とか病いとかのイメージがあると思うんだが、釈迦牟尼の初期の教えでいうと勝手に期待して自分の思い通りにならないのが苦の原因だというのがあるから、若者にとっての思い通りにならないもの=恋愛に置き換えられて広まっていったはずなんだよな  いや天国はキリスト教系の教えなんですけども  まあそんな感じで未来≒老い先のことを考えてる感があって、少年というよりは青年を感じさせる語りだなと感じた。

未来を約束するのは死方向だけじゃなくてロマンスにも繋がるのか。永遠の愛を誓う、とかのやつ。結婚式の病める時も健やかなる時も〜のやつだ。ってことは、これってもはやデートかなソワソワな2人というよりは、お互いなんだか嫌いではなくていや好きだけど世間みたいな浮ついた感じではないっていう関係性なんだろうな 成就した恋愛というか、進展した2人を描くようになったんだなぁ……君との現在だけで頭がいっぱいな「僕」ではなくて未来の僕と君を考え始めている「僕」が生まれてきたんだな〜 或いはもっと逃避型で現世はもういいやなのかもしれないけど。

逃飛行「千代に八千代に愛してたいなんて/驕りも甚だしいけど」もあったな。エゴを突き通せるくらい強くなったとも取れるのか。夢を語る自分を同じ自分がちょっと冷めた目線で見てしまうけれど、それでもそんな絵空事を語れるくらい自己を確立したのかもしれない。自分の感情に正直に、なる機会がもっとあると良いね。

 

でもただの願望な歌詞とか壮大な夢という風に形容してみると少年性の方が近いよな。逃飛行「夜が怖いなら自転をしない星を探してドライブするんだ」・弱者の為の騒音を「高層ビルにも月面にも/スニーカーで踏み込んでやろう」なんかは少年性を感じる方のデカスケール歌詞だ。対して天国「僕の人生のエンドロールで/一番最後に流れるのは君の名前のが良い」「きっと誰にも見つからない場所で(中略)指切りをするまで」もスケールは同じように大きい話で比較的具体∩願望な歌詞だけれど少年ではない やっぱり青年的、ジャンプじゃなくてマガジンなんだよな

純異性交友、イマジナリー・ノンフィクションはジャンプ的で(エンドレスヘイトはマガジンかな)、ユースレスマシンもまだジャンプ的(これはパッケージもあるけど作風に現れた遊び心がやはり少年的なイメージをもたらす)、ギターになってグンと大人びた感じがある。少し思想感というか確固たる個人の考えが強まった歌詞になったというのも一端を担っているのだろう。ギターでいきなりと言うよりもこれもエンドレスヘイトのように橋渡しになるというか兆しっぽい所はあって、例えばマイラブリーボアダム「遠くで聞こえる選挙演説の声」の辺りはふわっとした違和感を与えて少し考えさせられるような具合になっている。インタビューでもこういうようにちょっと考えさせられたらいいなという旨を話していた。でも演奏面で「おもちゃみたいな(from初回限定盤の特典ラジオ)」曲になっていてこれはこれで1曲の中でバランス取れていて良いな〜とも思った記憶がある。後で触れる曲だけどアルバムの間に発表されたワールドイズマインも歌詞とかはド直球ダンスナンバーではないし、直接人に影響する言葉になっているという意味で最近発表された曲にはオトナを感じる。ガキンチョスピリッツなので全然昔の曲も聞くし好きなんですけどね。メジャーになっても変わってないとは言えないけど、でも変わらないのもそれは死んでると思うから、小難しいこと考えざるを得なくなった人達も両方好きだ。

 

キリスト教も持ち出すと、「神様が許さなくても」というのは最後の審判のことで、天国に行けるか否かがかかってるというように見えなくもない。ボーカルの人は中高(大)キリスト教系の学校出身だというので、授業でどこまで詳しくやったor真面目に聞いていたかは分からないが青年期に受けた宗教的な話というのは少なくとも無視できるほど些細なものでは無いだろうから、キリスト教本流の知識というものはハンブレッダーズの作品においてある程度は加味していい要素なんじゃないかな〜と思った。まあこじつけ含め全然キリスト要素そんなに無い気もするけどね。神が赦す/赦さないもお天道様が見てる日本教って方向からの影響も十二分にあるだろうし

って許可の方の許すを使ってるのか。神様の許可は天国一緒行くに対してか?「もしも君が僕を許してくれるなら」の方はなんとなく赦しでも良さそうな感じがするけど。*11

 

 

 

M11 ワールドイズマイン

「自由になりたきゃ 自分のやりかた きっと見つけなくちゃ」

いいですか!!!自由は所与ではないんですよ…!*12

いや所与だとしてもそれは無条件ではないらしい、条件付きで謳歌できるものらしい。普通の話をするなら、義務を果たしてこその自由、責任を自分で取ってこその自由、公共の福祉に反しない限りの自由、なんてところ。権利でも自由でも、“実は人間に平等に与えられていた”を実は勝ち取っていたのではないか?自由って自らの由(よし)なのか

 

どうも諭吉が訳して作ったっぽい まず自己があってそこから自らの行動の由縁に繋がるという関係らしい 歌詞のまんまやんけ

明治期に訳したってことはここらへんの“自己”ってものに対する認識は西洋思想の影響もあるのかな?鏡やカメラも発明されてるだろうから金持ちなら自分の姿形を見たことがあるのかもしれない、よく知らんけど。

 

「新しいあなたらしさ 肩書きなんてあっかんべー」

他者にどう評価されようと自分の在り方は自分で決める、っていう姿勢を感じる歌詞。押し付けられた自分よりも掴み取った自由、個人。

世界は何も現実の地球という意味に限らなくて、M10プロポーズ「ああこの瞬間この世界はなんだか/君と僕だけのためにある気がする」みたいに、世界の片隅のほんの小さな空間(即ちそれは僕の居る世界)は確かに自分のモノと言ったって問題ないと思うんだな。

B面というかシングルの3曲目:遠足「365 次から次へと突きつけられる/常識の中で正直でいたいのさ」も似通ったテーマが描かれているなと思う。

 

 

 

M12アイソレーション

M13君は絶対

この2曲を同じアルバムに入れるのも隣り合わせにするのもその全てのセンスが愛おしくてたまらないわけなのだが、これらも「エンドレスヘイト」的な雰囲気を感じて好きな楽曲。

 

多分最初にアンチ全体主義が現れてる…!と思ったのはアイソレーション「みんながみんな同じセリフ/生きてるって言えるの?ソレ」の部分。みんな「エモい」という言葉で思考停止してしまったら、全体の利益が1番なのだとしたら、僕が僕である必要ってないよね? まあそこまで大衆にのっかる奴らを忌み嫌っている訳では無いですが、群れることにぼんやりと苦しむ人が居るのは不健康って話だ。

アイソレーションは皆と距離をとって1人に篭ろうとする方向の物語、君は絶対はそんな1人になろうとする君に語りかけるような物語。個人性と社会性。どちらも大事で、だから苦しい。

複数の人物視点から描くのはSUMMER PLANNINGでもやっていたけれど、サマプラは1番2番っていう曲中の中で描くやり方だったから、各視点から1曲ずつ作るというのは新鮮に写る。

 

「永遠なんて御免だね/ヒリヒリしていたいのさ」

あくまで自分が居る今を大事にする視点。1人に篭もる感じは悪く言えば子供っぽいんだけど、いやいや自分を大事にしてるだけですよ、って一体どれほどの人が自己を突き通せるだろうか。

安定した永遠よりも不安定な現在。懐古趣味もいいけれどそれよりももっと変化の荒波を楽しめる人間でいたい、と思うのは僕のエゴ。

 

「僕たちはひとつになれないから」

クリープハイプ『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』

クリープハイプのこの場合とは違って、この「ひとつ」は、僕たちは分かり合えない・同じ考えを持てないという意味だ。では他にハンブレッダーズの曲の中で2人で1つっぽい箇所ってあったか?と集めると以下の感じ。

ファイナルボーイフレンド「迷惑じゃなければずっと そばにいて」、嫌「気がくるうほど近付いても/ひとつになんてなれないらしい」(この“狂う”って開いてたんだ)、約束「あなたになれないなら/せめてわたしでいようとしたのに/ねえ おねがいだからそばにいて」、SUMMER PLANNING「遠くない未来に一緒になりたいから」「ふたりで過ごす時の方がさ/ひとりとひとりだって/わかってしまうんだな 僕ら」、プロポーズ「ねえ これからも ずっと一緒にいよう」

 

意外だったのが、ライブハウスで会おうぜでもひとつになれる場所みたいな書き方はしていなくて、あくまで「僕ら孤独になって 見えない手を繋ぐのさ」1人は1人のままでも他にも仲間が居た程度の触れ方になっているんだな〜と改めて気付いた。

どれもどことなく恋愛っぽいというか何かの情に関する文脈で、一致団結的な「ひとつ」は恐らくアイソレーションが初なのかな。

 

プロポーズの曲中で実際のプロポーズに当たる言葉がずっと一緒にいようだと思うんだが、それ以前に発表された曲にも実は現れていたように、ハンブレッダーズの愛の形は「ひとつになる」ではなくて「一緒に居る」だったのか.....クッ.....奥ゆかしきerotic..... そうかでも「プロポーズ」ってタイトルで最後結婚しようじゃないのは非常に現代的で2人の人間の幸せの形という本質を突いているのかもしれない。SUMMER PLANNINGでのプロポーズも「一緒になりたい」なんだな、そうなるともうファイナルボーイフレンドの「そばにいて」もあたかも結婚というかこれから一生お願いしますな告白じゃん、ホーントムツムロアキラそういうところが大好きなんだからッ  (ファイナルボーイフレンドは友人の結婚式のために書いた云々の文脈があったような気がするけど)(ソースは無い)

でも付き合ってないけどお互いにはちゃんと付き合おって言ってるな〜そこは誤魔化さずにというか直接言うのね。別に一緒にいようって言葉が誤魔化しになってる訳じゃないけど、まだ日本じゃ結婚できないカップルがいるとか結婚だけが幸せの形じゃないことも重々承知した上で、男女に縛られない万民の為の愛情友情にまつわる書き方になっているのが素晴らしいなぁと。そうなんだよなぁ、僕たちはただずっと一緒に居たいだけなんだよな。

 

「判断基準ブレまくり?/最高の褒め言葉だ」

言わずと知れた、ハンブレッダーズのバンドの由来ですね〜

語り手に向かって「お前コロコロ変わりすぎだろ笑」と言われてハイハイ褒め言葉ですって感じか。他人から見たら二転三転しているように見えても、自分の中で筋が通っていれば自分の中で真っ直ぐというように表せるわけだし、周りから見た自分の一貫性を優先するっていう判断基準の方がズレてるのでは?ここにも周りより個人を優先する感じが出ている。

 

君は絶対

「愛してるの一言で片付くような/シンプルな手紙を/回りくどすぎる言い方で/これからも描き殴ろう」

STILL DREAMING「知らなくてもいいことを/ひとつ残らず知りたい」とどこか似てどこか違ったそんな印象がある。STILL DREAMINGの方の歌詞は学問的な立場から共感する研究者が多そう。工学とかパソコン系はもっと経済活動に直結しやすい研究なのだろうが、研究って役立つものだけをすることは出来ないもので、ただ知りたいから面白いからやるものだ。この文章もちったぁ文学系の研究に近いものだと思うけど、これも別に確定申告とかに比べたら必要性は薄い。でも書いてみたかったから書いてるわけで、それはもっと深くまでハンブレッダーズの音楽を楽しみたい、知りたかったからだ(といっても歌詞方向からでサウンド方面は全然考慮できてないのだが)。

一方君は絶対の方の歌詞は、目指すべき答えは決まっているのだがそこまでの経路を探るという営みと表すことが出来て、それは科学とはまた違った行為だ。1つずつ理論を積み重ねて何かに辿り着くのではなく、どうやってその何かに辿り着くかを争う感じ。Then What?とHow?。昔読んだ(内輪ノリ強めで書籍名出すのがちょっとはばかられる)本の記憶によると、どうやらこの形はキリスト教神学に似ているらしい。聖母マリア信仰をするか否か宗派に拠る答えは既に決まっていて、どのようにその答えを正当化するかを学者らは考える、みたいなイメージか。だから神学で今ホットな話題は数百年遡れば絶対昔のブームだった時の文献がある、みたいな論が展開されていた。

思えば、曲のメッセージというのはどの曲もそんなに大きくは変わらないのかもしれない。ハンブレッダーズに限らず、なんなら音楽の歌詞だけじゃなく文学も、あらゆる芸術のメッセージは大きく分類できて、そしてそれらは時代と共に繰り返しているだけなのかもしれない。Y2Kとか分かりやすいか、これはファッションの流行は繰り返すものだという例だが、同じように音楽・絵画もなんとなく同じ傾向を繰り返していてもおかしくないんじゃないか。ロマン主義写実主義つまり理想↔現実という反復はありそうだ。現にハンブレッダーズも作品の大枠の雰囲気としてロマンティック→リアリスティックという流れを踏んでいるとみることもできるのではないか(造り手の心境変化もあるから一概にそうとも言えないけれど)。ラブソングは失恋でも片想いでも色んな歌があるけれど大事なのはその語り方であって、響かないワードセンスの歌にはあまり惹かれない。こう考えてみると、結構結論はおざなりで方法の方が大事になっている場面って少なくないのかもしれないなと思った。

 

 

 

M14 ライブハウスで会おうぜ

「耳鳴りが愛しかった」

口笛を吹くように「響く耳鳴りのせいで」の踏襲。口笛じゃなくても耳鳴りというのはキーフレーズらしくインタビューなどでも見かける単語だ。

まあでも耳には悪いので個人的にはライブ用耳栓をオススメしたいところです。音の面でも低音がくっきりする感じがして良いと思います。耳栓するようになって耳鳴りしなくなったので、ここらへんの歌詞を聞く時は小学生の頃親に連れられて行ったライブハウスの帰り道の耳鳴りを想起して感情移入をしています。というか初めてライブハウス行った時が思い出されるという点では耳鳴りというのはこの曲に相応しい単語なのかもしれないな。初回からそんな用意周到では行かんもんね。

 

「正しすぎる日々の対義語」

この曲は正しくなれないことへの承認をも歌うわけです、M2ギター「正しいことは楽しくないし/楽しいことは正しくないし」も浮かぶフレーズ。月並みだけど楽しいことはやっぱり大事で、周りを気にしすぎるのは良くないって命題に繋がってくるのだと思う。

 

「ヘッドフォンの外にも宇宙があったんだ」

DAY DREAM BEAT「ヘッドフォンの中は宇宙」へのアンサーというか発展というかみたいな部分。他にもハンブレッダーズの曲の中には惑星と書いてほしと読むなど*13宇宙関連語が多いのだが、ここでは宇宙がロマンあるもののメタファーとして描かれているんだな。綺麗で圧倒されて心がワクワクするものといった感じ。言われてみれば確かに好きなアーティストのライブを初めて生で見る時って、銀河の写真を見る時とか山奥で星空を眺めた時とかの印象に似たようなものがあるかもしれない。なんでもiPhoneの窓越しに見れる時代なだけに、*14そういうナマの経験が大事になってくるのだろうなとも考える。

 

 

 

やっと終わった...泣

 

○今後の研究課題は

・ハンブレッダーズ(ムツムロアキラ)の宇宙・夜論

・平常時アクセント(大阪出身も考慮しながら)とメロディの高低比較による聴者の違和感と引き込みに関する考察

・SUMMER PLANNING好きすぎないか引用しすぎだろ一旦恋愛観とでもしてまとめて語っとけ?

・音楽の歴史を知らなさすぎる、クラシックとかまで行かなくてもロックミュージックの歴史くらいは知っておきたいだろ

とかですかね

あと何も関係ないけど予言カードで学ぶ英文法とか普通にやりたい、バカ大変だけど

 

 

 

最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。(もし居るのだとしたら)

*1:キェルケゴール『死にいたる病』。“最も深い意味での絶望とは、神の前に立つことによって真の自己になろうとするあり方を拒むことであり、これこそが人間の魂にとって「死に至る病」であると規定し、その克服は純粋なキリスト教信仰によってのみ可能であると説く。”コトバンクより

*2:ネヴィル・チェンバレン、イギリスの首相、ナチス・ドイツに対して宥和政策をとった。

*3:John Lennon「Imagine」等々。1970年前後に目に見える反戦活動をしていたみたい。

*4:「生きててよかった/そんな夜を探してる」

*5:ダン・アリエリー『予想通りに不合理』。行動経済学の本。

*6:中世ドイツの法律にまつわる「都市の空気は自由にする」ということわざから。農奴が領主からの引き戻し要求無しに都市に一定期間住めば自由身分になれた。

*7:ぱんぶれでぇがく前駅に通っている

*8:漫画BLEACHに出てくる藍染惣右介のセリフ。例の如くエアプ。

*9:弱者の為の騒音を「こどものままでおとなになろう」

*10:萩生田大臣のやつ。

*11:allow=許し、forgive=赦し

*12:所与…漢文由来の語で与ワル所とでも書き下すのかな?与えられたもの全般、という意味になって、辞書的には「他から与えられること・もの」(漢文の“所”は場所ではなく、英語で例えればVに付くingで動名詞にする働きを持つ)

*13:STILL DREAMINGの冒頭。「惑星の重力 脱ぎ捨てて」という歌詞表記だが歌う時は惑星を「ほし」と読んでいる。ハンブレは他にもCOLORSでの「色々」が明確に歌と表記との違いを作っている場所として挙げられる。

*14:遠足「今じゃiPhoneの窓越しに社会見学」