狂信と哲学

「推しは宗教」現代における宗教は娯楽で、じゃあ現場は実家だと思う。

【ハンブレ】全体主義へのHow to 反骨精神_2nd Album「ギター」

○はじめにのはじめに

3rd Albumの告知が出たので焦って筆を執った次第です。

15000字超えてるし分からせるための・人に読ませるための文章じゃないとこもちょくちょくあるしまあ極度な暇人のためのものです。パロディとかスラングはそのまま使いもするけど解説もしたすぎるので注入れました。

 

 

○はじめに・まとめ

僕が2nd Album「ギター」の初聴時にまず思った感想がタイトルの通りです。

そして時間が経った今でも的を得ているなと我ながら思います。

 

 

なんで全体主義ナチスドイツとかムッソリーニとかのやつ)の名前を挙げているかというと、現代(まあコロナ前後くらい?)において人類は再度全体主義に陥り始めている:世界大戦も近いぜ!みたいな論が最近あるらしくて、

「ギター」がそういう時代背景を多分に反映した作品だと思ったからです。ポピュリズム台頭とかもそう。

 

だから僕はなんとなくこの「ギター」という作品と、同時代に生きて鑑賞できていることが凄く幸運なことだな~などと思っています。

 

 

ビートルズは今聞くと新しくないみたいなやつ、そりゃ~当時ビートルズが最先端だったんだから今の子が聞いても…みたいな理論ですな。

この暗い社会の中で、反抗して輝くとまでいかなくても、まだ闇に染まり切っていない人たちと肩を組む安堵のようなものが、ハンブレッダーズの音楽にあるようなそんな気がしています。

 

 

お察しのように盛り上がってうぇい系じゃなくて理論派とでも呼ぶのかそっち系の邦ロック好きなのですこぶる日タグとの相性が悪いです。そんなことはねぇか。

 

 

 

 

この記事は多分、なんでそんな風にに思ったのかな~ってことについて根拠を挙げながら述べていく批評的なSomethingです。

あと普通に全体とは関係なく思ったこと考えたこともこの機会にまとめてみよう

はいですます体終わり。

 

 

○本論

M1 再生

「不特定多数に向けられた歌に興味は無いよ」

 

前述の「アンチ全体主義」の立場からあらためて歌詞を眺めてみると、「不特定多数に向けられた歌」ってプロパガンダ的なものと捉えることもできそうだ。

そこまでいかなくても、いわゆる流行りの歌で中身がありふれたやーつみたいな歌のことを指してはいると思うのだが、こういう万人ウケする物に安易に乗っかれない気持ちを描くことは(つまり少数であり続けようとする意思は)中々失われがちな世の中であるなどするのかなとも思う。

 

 

「僕の感動とお前のエモいを同じにすんな」

 

これは僕個人の意見だけれど、感情に名を付ける時の違和感こそが文章を書く始まりだと思う。この「僕」が心動かされたことを「エモい」で表現してそれに納得してしまえば、普通に無難に世の中で言うのと同じ種類の感動で済んでいたのであろう。でもそれじゃダメだ、何かが違う、となって人は初めて自分の感情と向き合い、人によってはそこから適切な表現を探し始める。

大衆に迎合しないことは素晴らしいとかいうことを手放しに言うことは出来ないけれど、それでも自分自身に正直に向き合うことは、人間関係のいざこざを生み出しにくくなる気がする。それは多分生活の質向上なんかにも繋がって…というか普通に言語弱者が多いんだろうな。邦ロックが歌詞重視なのも、皆自分の言いたいことを素直に言おうとしない或いはそもそも模索する機会が少ないからなのではないか、と思うなどする。社会的弱者は言語的弱者であるっていう論もTwitterで見かけたことがあるし、まあ格差拡大的なことなんだろう。

 

MVでヘッドフォンを付けると画面の色が反転するというシーンがある。頭に装置を付けて世界の色が変わるという表現はなんとなく洗脳っぽいマイナスの場面を表すっていうイメージがあるけれど、それ程劇的に変えてしまうことが視覚的に表されているんだな〜とも思った。

MVで言うと、バンドメンバーの居る世界(視聴者もここ?)×清掃員などのMV世界×ヘッドフォンの中の世界がそれぞれ独立していながら空間的には同時に描かれている。これもCOLORSの3分割画面に通じるものがあるのかもしれない。バラバラでありながら時にひとつに、その適度なバランスが大事なんだろう。

 

 

 

M2 ギター

「小難しいことばっか考えて 馬鹿になれない君と僕だけの歌」

 

パッと歌詞を見た時に、G.オーウェル1984」の前半みたいだな〜と思った。この後君はビッグブラザーに傾倒していってしまうんですが…と読んだフリをしていますが普通に漫画版なのでよくは知りません

でも面白かったので興味ある人は読んでみるといいかもしれない、監視社会のディストピアの中で主人公が抗おうとして最初は仲間も居たけど逮捕されて…みたいな話

1984」の中で、感情を制限するために言語を規制するシーンがあったはず。M1 再生での「エモい」と同じようにここでも、「小難しいことばっか」考えず安直にそのまま「エモい」と使ってしまえば良いものの考え込んでしまう、そういった人間活動について触れられていると見ることができる。大衆向けの歌/君と僕だけの歌、という対比も産まれてくる。

ここで冒頭の「アイドンワナダイ 狂っちまいそう」を踏まえると、大衆に自分の感情を合わせていくことはさながら死に至る病*1のように苦痛を伴うものとして描かれる。死にたくない、このままでは狂ってしまう。自己崩壊に苦しむ語り手は、いくら人類が社会性によって生存してきたとはいえ、社会性一辺倒であってもいけないというメッセージを伝える。

このアルバムは、一貫して個人が個人であることを肯定している。

 

 

 

M3 BGMになるなよ

「名前も顔もない人に」

インターネット、匿名社会なんかが浮かぶフレーズだ。ただもう1つの見方、悪い意味での大衆という解釈も可能ではないか。名前がないのは番号で充分だから、顔が無いのは都度感情を与えられるから、なんていうSF空間での言葉にもなりうる。

サビでもう一度同じフレーズが繰り返される場面では「名前も顔もない人の 心ない言葉は」とこれまた自我の無いような生命体のように描かれている。

 

 

「誰かを憎めば楽になる こんな世の中で」

昔の不況時では誰かを憎んで憂さ晴らしすることがホロコーストとして大々的に行われていたという面もあるでしょう

昔だけじゃなくて別に今だって、蔓延る誹謗中傷を投げつける人の中にはそういう憂さ晴らしの為にしている人も居るのだろう。そこで如何に社会全体でドンパチ起こらない平和な社会を作っていこうかっていうのは、割と深刻に人類の課題な気がする。(そこで国際連盟は失敗したわけですね チェンバレン*2ばかりを責めることもあんまりできない気がするけれど、と歴史の授業は置いておいて)

そこで極めてストレートに「愛と平和を歌っても 相変わらずな世界で/変わらず愛と平和を歌うのが 僕の戦いさ」と歌うハンブレッダーズ。よくカッコイイことをそのまま言ってもさまにならないバンドだから…などとボーカルの人が言ってるイメージがあるけれど、ハンブレなりのストレートさを感じてすごく真っ直ぐで良い歌詞だと思う。

Love and Peace, Rock music というとジョン・レノンが脳裏に現れる。*3露骨に政治的だと忌避される感が何故かある国だけれど、それならその婉曲なままで、ときちんと正当なRockの系譜を受け継いでいる感がある。

 

「逆接の接続詞ばかり」

確か雑誌のインタビューで「ムツムロさんの歌詞の特徴は?」と聞かれて“けど”とか“でも”とか逆接が多いかもしれない、と話していたのを踏まえると続く「大丈夫 君は生きていたっていいんだ」の「君」には若い頃のムツムロさんと同時に僅かながら現在の自身も含まれているような気がする

17歳の自分に向けて歌詞を書いている、という話は随所でしているし、17歳のあきらむつむろって多分少なくともコピーバンドはやっている段階でオリジナル曲も作り始めている位なのか?

ハンブレッダーズの曲は「君」と出ていてもそのシチュエーションが明確に定まらないとこが良い。ってのはSUMMER PLANNINGで初めて意識したこと。メジャー以前はもっと恋愛色の強い「君」で、なんならここに惚れて聞くようになった所もあるのだがしかし、時を経るにつれて恋愛っぽい曲も段々と“「とある2人の関係性」についての曲”という色が強くなっていくと感じている。それはまた別の話。

 

 

「生きててよかった そんな夜はいくつもあったけど」

フラワーカンパニーズ「深夜高速」を踏まえての歌詞。*4

でも深夜高速と聞いて浮かぶ映像は銀河高速のMVの高速道路だなぁ。

深夜高速よりちょいと前向きというか、素敵な夜はいくつもあったけど多分まだ更に上があるというように、既に所有している自己の幸せを認識した上でもっと!という生き方は、とても良いと思うし好きな世界の見方だ。

 

 

 

M5 スローモーション

「生き急いでいたい気持ちと そうでもない気持ちが/絶妙なバランスで混ざりあっては」

僕の昔のメモにはここを指して「アンチ画一的人類」って書いてありました。複雑性あってこその人間だよなぁ、というのは僕の自論。画一的な動作をすることにおいて人間はロボットに劣るのだから、じゃあ人間の特性は不合理な複雑性にあるのでは?*5

 

「生き急いでいたい気持ち」と「そうでもない気持ち」であって、「ゆっくりしていたい」と「そうでもない」だと聞く速度が違ってくるな、題がスローモーションなのだから「そうでもない気持ち」の方が本心というかメインの感情になってくると思うのだが、あくまで明確に提示しないという描き方をしているんだな

「そうでもない」という部分否定も婉曲感が出ていて良い、not so fastってところか 真反対のベクトルであることは匂わせながら、ベクトルの絶対値は必ずしも一致しないみたいな感じがする表現だ。相反する感情のどちらも持っていて良いというよりはむしろ反・二律背反、多元主義ですらあるのかもしれない。

「生き急いでいたい気持ち」は7拍で実はその反対の気持ちよりも1拍だけ多く尺を取っている

 

アンビバレントな感情については、欅坂46アンビバレントって曲を出していた。もっと恋愛寄りというかアイドルとファンみたいな関係性が強調される歌詞だったと思うけれど、全体の利益と個人の利益を天秤にかけるコロナ禍の私たち、みたいに全体と個人のバランスが問われる社会になってるんだろうなぁ。アンビバレントのサビは他人にどう思われても知らんってメッセージなんだがそれでも最後には「だけど1人じゃ生きられない」と続く。やはり社会性に反して個人性一辺倒でもいけないらしい。

いやそもそもコロナ禍じゃなくても、農耕社会から都市に出てきた人類が等しく抱える悩みなのかもしれない。現代になって出てきた都市のマイナス面。地方は情報社会というか直ぐに噂が広がる、その意味で個人の感覚が希薄だ。都市は村社会から人を自由にしたが、*6そこで人々は寂しさを抱える。よく聞くところでは核家族問題なんかもこの流れにある。個人を尊重しすぎた都市において全体尊重の反動波は、実はもう壁の向こうに来ているのかもしれない。

 

区間快速の速さで」

区間快速って少なくともJR東日本じゃ聞かない気がするのだがどこにあるんだ?と思ったらバチくそJR学研都市線が出てきて焦りました。*7

特急よりは遅くて各駅停車よりは速いんだろうなってことは分かるから問題は無いんだけれども。

1番生き急いでいる特急でもなくビリの各駅停車でもない、ふわふわとそれなりに生きてきただけの人。ボリュームとしてはここが1番多くて、そこに対して伝えかける言葉はより多くの人に響く。

「すれ違う電車に思いを馳せながら」と聞いて、自分の乗っている電車は止まっているだろうか?それとも動いているだろうか? 自分は、区間快速が駅に停車していてホームの向かいの線路を使って特急が自分を追い抜いていく情景を先に思い浮かべる。勿論車窓を眺めていたら遅い各駅停車を抜かすという景色を思い浮かべる人もいるだろう。或いは同じ向きではなく逆方向へ走り抜ける電車同士でも良い。なんだか深層心理の現れのようにも思えるが、どちらにも投影しうる表現でこの歌詞が描かれているということに変わりはない。詩歌や俳句、今で言えばこのMVの無いアルバム曲ではこういった細部が曖昧で想像の余地がある、これを面倒と捉えればそれまでだが、読み手によって様々な解釈が可能であるというのはまた懐が深くて豊かな作品であるようにも思う。

 

 

 

M6 STILL DREAMING

「身の丈にあった言葉しか/リアリティがないというなら」

題のDREAMINGとリアリティが対比になってるな〜

何かを語ると「じゃあ自分はできるのかよ」という野次が飛んでくる、なんて愚痴が浮かぶフレーズだ。あまり強い言葉を使うなよ笑弱く見えるぞ笑的な藍染惣右介(笑)が仮想敵っぽい感じ。*8きちんと言語化するなら、どうせ無理だよと諭して夢を潰してくるスれた大人達、と言った所か。

いくつになってもまだ夢を見ている、誰がなんて言ってこようと、歳食ったなりの夢がまだある。ここに「こどものままでおとなになろう」Spilitsを見出すこともできそうだ。*9

例の燃えた“身の丈”発言は2019.10らしい。*10この曲がテーマソングになったポカリ提供CMは2021.11辺りだそう、なので多少なりとも意識されていておかしくないかな? 見開きページみたいに原型がとても古い可能性もあるけれど。格差容認かおいコラってんで燃えたものと記憶しているが、格差が広がっていって戦争へというのは実によくある動き。WW2じゃ一発逆転を目指してどいちゅくんは戦争仕掛けるしかなかったわけですね、まあ地球の土地は有限で更にめぼしいところは既にエゲレスやらおふらんせ様の植民地だもの逼迫くらいするわよね。貧富の差は戦争の度にリセットされてたんだが現代じゃ戦争がなくなってただただ格差が拡大していくだけ……ピケティ先生『21世紀の資本』のエアプです。すぐ歴史に走るけど許して、現代潮流とアルバム「ギター」の関わりを話す為には現代潮流を作り上げた過去に触れないといけないんだもの。

何かと角が立つネット社会を考慮して今の自分の実態にあった言葉しか使えないとしたら、それはきっととても貧しい事だ。言葉があるということは、それでしか表せない物があるということ、1人では無いということだ。私欲のために狩っていいものではなくて、「人伝に聞いた言葉」でもなくて自分から使いに行くものなのだと思う。最初からパーフェクトに自分の気持ちを表せるはずもないんだけれど、「お利口で堅苦しい君のその口実」みたいに最初は他人の言葉を借りながら段々と自分なりの言葉を身につけていけば、困らない生活になることも多いんじゃないかな〜と思う。感性派を否定している訳では無いからあまりに思想押し付けた言い方になってしまうのも避けたいんだガガガ。

 

 

 

M7 COLORS

「すれ違っても いがみあっても/分かり合えない夜が続いても/僕らは敵じゃない/それって素敵じゃない?」

多元な僕達を全て認めて包み込むかのような歌詞、しかも落ちついた所で聞かせるのでよりインパクトが強くなる配置になっている。

カラフルっていうとなんとなく良いイメージがある。COLORSもそのポジティブなイメージの上で描かれていて、MV最後のライブシーンも鮮やかな照明だし実際にライブでも虹色に照らされていて(ミラーボールが出ることもあり)見ていて楽しめる。時事に結びつけるならカラフルといえばlgbtフラッグがあるけど、性だけじゃないちょっとした思考の違いすらそれもそれで良いよねと認めあっていくような、そういった種類のつまりもっと大枠な承認が現れている歌詞なのではなかろうか。

アンチ・セクシャルの観点からボーカロイドシーンを分析した 鮎川ぱて『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』文藝春秋刊 の中で、モザイクロールMV分析などセクシャルと色を扱っていました。ダイマです。アンチ・セクシャルな感じが若者にウケてボーカロイド文化が育まれていったとして(雑な要約だなぁ)、その若者の世代の中にハンブレッダーズのメンバーはドンピシャだろう。けいおんアニメ1期が2009年で、2009年のボーカロイドヒット曲は炉心融解、裏表ラバーズなど、2010年ならマトリョシカ、ハッピーシンセサイザなどなど丁度ボカロ興隆期くらいに差し掛かっているはずだ。メンバーがボーカロイドの話をしているイメージがあんまりないのだけれど、学年の中で誰かハマっててもおかしくない位の距離感でボーカロイドが存在しているというのは驚きだ。まだオタク文化としてアニソンの方が強かったのか…?

 

 

「頭でっかちになってしまいがちな世界さ」

理論で考える近代の限界の最たる例が恐らく地球温暖化で(資源は無限じゃないから無限に発展はしないことが分かってしまった)、そんな感じで現代論というか、自分の身体に立ち戻って考える・身体を取り戻すっていう動きがここ最近の風潮であったハズです。ちっとも名前覚えてなくて胡散臭いんですが、そんな壮大でなくても「頭でっかち」はいわゆる意識だけ高い系とかのことも指せる。

理屈でない部分、感情や衝動性を大事にしているのだろう。ワールドイズマイン「理屈こねてもしっくり来なけりゃ」・フェイバリットソング「誰にも知られたくないのに/誰かに分かってほしいんだ」「きっと何かが変わるはず」みたいに、日頃僕らはうだうだ考えてしまうけど直感に従ってみるのも悪くないというひとつの観点が示されている。理屈では周りに合わせた方がいいけど感情では個人の感じたものを大事にしたい、という対立に持ち込めるかも。やはり蔑ろにされがちな個人を尊重してくれるそんな空気を感じる作風だ。

 

 

 

M8 名前

「正しさ 優しさ 投げ出しても/ただひとり君の味方でいたい」

皆の言うことよりもただ1人、目の前の君のためだけに僕はァ…!君の為なら世界を捨てれるんですよこの「僕」は!!これを愛と呼ばずしてなんと呼びましょうゾ!!うるさいですね

どうでもいいんだがライブで見たら意外とドラムが忙しくて驚いた。CD音源では音を絞っているらしいけどテクニック的な面を見せている曲ではあるらしく、シンプルなフレーズでは足せない種類の色・特性が表現されているのではないかなぁ

 

空想「心を繋ぐテレパシー」

↔現実「ふたりを結ぶ糸電話」

ダンジョンに合わせたら糸電話くらいになってくるのだろう、ということで具体側換算。あと糸電話だとより音というのが強調される、後の「その響きを手がかりに」とも縁語未満くらいな関係が生まれる。

 

「君の名前を呼ぶことが/ありとあらゆる魔法より難しくて」

スクールマジシャンガール「君がいつも僕にかけるのは/名前を呼ぶだけの黒魔術」を彷彿とさせる。さよならも交わせないならそりゃあ名前なんてもうおよそ無理なのではとさえ思う。

これも下の天国で述べるように、「永久と瞬きの狭間で」みたく未来性・永遠性を孕んだ表現になっている。またアイソレーション「永遠なんて御免だね」で否定されるわけなのだが〜永久を語るようになって少年から青年になった感じがある、でもまだあどけなさも感じる、そんな雰囲気だ。自身の感情記述に留まっているところは変わらないからかな。

 

 

 

M9 天国

本論とはあんまり関係がないのだが、この曲涙が出るほど尊い関係性を歌っていてビビる。

「気まぐれな行為をした」「手探りで灯りを消そう」なんて聞いた日にはえっちすぎてえっちだ〜!って言いながら失神しますぜ兄貴。

ヲトナ…な雰囲気出されて普通に無理

 

眠るため消した電気だ。悲しみを思い返して泣くためじゃない

工藤吉生『世界で1番すばらしい俺』短歌研究社

 

具体「モノクロの映画」「誰もが泣くと評判のドラマで」↔抽象「君と天国に行きたい」「君に全部を捧げたい」

っていう構図は

カラオケ・サマーバケーションの

具体「もしもジュディマリだったなら」「ぬるくなったジンジャーエール/間奏で49秒!?」「僕はデンモクを取った!」↔抽象「君の笑う顔だけが夏休み」

と似ている気がする。

カラオケ・サマーバケーションはこうして抜き出してみると具体物列挙が多いんだけど最後の1番聞かせる所では抽象で終わらせて願望を滲ませてサビ部分が終わっていく感じ。別の曲でも似た構成のものありそうだけどとりあえず最近思ったのはここ。

 

天国は願望パート多めなんだが同時に「時の流れが追いつかない場所で」とか形而上的空想的な言葉選びも増えていて、そういう所が一見ゴリゴリ恋愛曲っぽくない爽やかな印象を持たせているのかな〜と思う。全然解釈によってはむちゃくちゃエロだと思うんですがでも普通に聞いてるだけじゃ肉っぽさは感じないと思う。付き合ってないけどお互いに「君のほっぺたのチークに」のように具体的に描いていない分純異性交友の頃のアマズッペェ!感が薄れていて、物足りないような気もしつつ新たな印象があって良い感じ。大人になったねっていうと言葉は違うんだけど(元も別に子供100%って訳じゃないし)、なーんだかどことなく成熟を感じる。天国とか「僕の人生のエンドロール」とかの未来視点が入ってるのも、極端に言うならおじさん的というか、大人を感じさせる要因なのだろう。

仏教は日本だと老人が熱心とか法事とか何か“死”とか病いとかのイメージがあると思うんだが、釈迦牟尼の初期の教えでいうと勝手に期待して自分の思い通りにならないのが苦の原因だというのがあるから、若者にとっての思い通りにならないもの=恋愛に置き換えられて広まっていったはずなんだよな  いや天国はキリスト教系の教えなんですけども  まあそんな感じで未来≒老い先のことを考えてる感があって、少年というよりは青年を感じさせる語りだなと感じた。

未来を約束するのは死方向だけじゃなくてロマンスにも繋がるのか。永遠の愛を誓う、とかのやつ。結婚式の病める時も健やかなる時も〜のやつだ。ってことは、これってもはやデートかなソワソワな2人というよりは、お互いなんだか嫌いではなくていや好きだけど世間みたいな浮ついた感じではないっていう関係性なんだろうな 成就した恋愛というか、進展した2人を描くようになったんだなぁ……君との現在だけで頭がいっぱいな「僕」ではなくて未来の僕と君を考え始めている「僕」が生まれてきたんだな〜 或いはもっと逃避型で現世はもういいやなのかもしれないけど。

逃飛行「千代に八千代に愛してたいなんて/驕りも甚だしいけど」もあったな。エゴを突き通せるくらい強くなったとも取れるのか。夢を語る自分を同じ自分がちょっと冷めた目線で見てしまうけれど、それでもそんな絵空事を語れるくらい自己を確立したのかもしれない。自分の感情に正直に、なる機会がもっとあると良いね。

 

でもただの願望な歌詞とか壮大な夢という風に形容してみると少年性の方が近いよな。逃飛行「夜が怖いなら自転をしない星を探してドライブするんだ」・弱者の為の騒音を「高層ビルにも月面にも/スニーカーで踏み込んでやろう」なんかは少年性を感じる方のデカスケール歌詞だ。対して天国「僕の人生のエンドロールで/一番最後に流れるのは君の名前のが良い」「きっと誰にも見つからない場所で(中略)指切りをするまで」もスケールは同じように大きい話で比較的具体∩願望な歌詞だけれど少年ではない やっぱり青年的、ジャンプじゃなくてマガジンなんだよな

純異性交友、イマジナリー・ノンフィクションはジャンプ的で(エンドレスヘイトはマガジンかな)、ユースレスマシンもまだジャンプ的(これはパッケージもあるけど作風に現れた遊び心がやはり少年的なイメージをもたらす)、ギターになってグンと大人びた感じがある。少し思想感というか確固たる個人の考えが強まった歌詞になったというのも一端を担っているのだろう。ギターでいきなりと言うよりもこれもエンドレスヘイトのように橋渡しになるというか兆しっぽい所はあって、例えばマイラブリーボアダム「遠くで聞こえる選挙演説の声」の辺りはふわっとした違和感を与えて少し考えさせられるような具合になっている。インタビューでもこういうようにちょっと考えさせられたらいいなという旨を話していた。でも演奏面で「おもちゃみたいな(from初回限定盤の特典ラジオ)」曲になっていてこれはこれで1曲の中でバランス取れていて良いな〜とも思った記憶がある。後で触れる曲だけどアルバムの間に発表されたワールドイズマインも歌詞とかはド直球ダンスナンバーではないし、直接人に影響する言葉になっているという意味で最近発表された曲にはオトナを感じる。ガキンチョスピリッツなので全然昔の曲も聞くし好きなんですけどね。メジャーになっても変わってないとは言えないけど、でも変わらないのもそれは死んでると思うから、小難しいこと考えざるを得なくなった人達も両方好きだ。

 

キリスト教も持ち出すと、「神様が許さなくても」というのは最後の審判のことで、天国に行けるか否かがかかってるというように見えなくもない。ボーカルの人は中高(大)キリスト教系の学校出身だというので、授業でどこまで詳しくやったor真面目に聞いていたかは分からないが青年期に受けた宗教的な話というのは少なくとも無視できるほど些細なものでは無いだろうから、キリスト教本流の知識というものはハンブレッダーズの作品においてある程度は加味していい要素なんじゃないかな〜と思った。まあこじつけ含め全然キリスト要素そんなに無い気もするけどね。神が赦す/赦さないもお天道様が見てる日本教って方向からの影響も十二分にあるだろうし

って許可の方の許すを使ってるのか。神様の許可は天国一緒行くに対してか?「もしも君が僕を許してくれるなら」の方はなんとなく赦しでも良さそうな感じがするけど。*11

 

 

 

M11 ワールドイズマイン

「自由になりたきゃ 自分のやりかた きっと見つけなくちゃ」

いいですか!!!自由は所与ではないんですよ…!*12

いや所与だとしてもそれは無条件ではないらしい、条件付きで謳歌できるものらしい。普通の話をするなら、義務を果たしてこその自由、責任を自分で取ってこその自由、公共の福祉に反しない限りの自由、なんてところ。権利でも自由でも、“実は人間に平等に与えられていた”を実は勝ち取っていたのではないか?自由って自らの由(よし)なのか

 

どうも諭吉が訳して作ったっぽい まず自己があってそこから自らの行動の由縁に繋がるという関係らしい 歌詞のまんまやんけ

明治期に訳したってことはここらへんの“自己”ってものに対する認識は西洋思想の影響もあるのかな?鏡やカメラも発明されてるだろうから金持ちなら自分の姿形を見たことがあるのかもしれない、よく知らんけど。

 

「新しいあなたらしさ 肩書きなんてあっかんべー」

他者にどう評価されようと自分の在り方は自分で決める、っていう姿勢を感じる歌詞。押し付けられた自分よりも掴み取った自由、個人。

世界は何も現実の地球という意味に限らなくて、M10プロポーズ「ああこの瞬間この世界はなんだか/君と僕だけのためにある気がする」みたいに、世界の片隅のほんの小さな空間(即ちそれは僕の居る世界)は確かに自分のモノと言ったって問題ないと思うんだな。

B面というかシングルの3曲目:遠足「365 次から次へと突きつけられる/常識の中で正直でいたいのさ」も似通ったテーマが描かれているなと思う。

 

 

 

M12アイソレーション

M13君は絶対

この2曲を同じアルバムに入れるのも隣り合わせにするのもその全てのセンスが愛おしくてたまらないわけなのだが、これらも「エンドレスヘイト」的な雰囲気を感じて好きな楽曲。

 

多分最初にアンチ全体主義が現れてる…!と思ったのはアイソレーション「みんながみんな同じセリフ/生きてるって言えるの?ソレ」の部分。みんな「エモい」という言葉で思考停止してしまったら、全体の利益が1番なのだとしたら、僕が僕である必要ってないよね? まあそこまで大衆にのっかる奴らを忌み嫌っている訳では無いですが、群れることにぼんやりと苦しむ人が居るのは不健康って話だ。

アイソレーションは皆と距離をとって1人に篭ろうとする方向の物語、君は絶対はそんな1人になろうとする君に語りかけるような物語。個人性と社会性。どちらも大事で、だから苦しい。

複数の人物視点から描くのはSUMMER PLANNINGでもやっていたけれど、サマプラは1番2番っていう曲中の中で描くやり方だったから、各視点から1曲ずつ作るというのは新鮮に写る。

 

「永遠なんて御免だね/ヒリヒリしていたいのさ」

あくまで自分が居る今を大事にする視点。1人に篭もる感じは悪く言えば子供っぽいんだけど、いやいや自分を大事にしてるだけですよ、って一体どれほどの人が自己を突き通せるだろうか。

安定した永遠よりも不安定な現在。懐古趣味もいいけれどそれよりももっと変化の荒波を楽しめる人間でいたい、と思うのは僕のエゴ。

 

「僕たちはひとつになれないから」

クリープハイプ『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』

クリープハイプのこの場合とは違って、この「ひとつ」は、僕たちは分かり合えない・同じ考えを持てないという意味だ。では他にハンブレッダーズの曲の中で2人で1つっぽい箇所ってあったか?と集めると以下の感じ。

ファイナルボーイフレンド「迷惑じゃなければずっと そばにいて」、嫌「気がくるうほど近付いても/ひとつになんてなれないらしい」(この“狂う”って開いてたんだ)、約束「あなたになれないなら/せめてわたしでいようとしたのに/ねえ おねがいだからそばにいて」、SUMMER PLANNING「遠くない未来に一緒になりたいから」「ふたりで過ごす時の方がさ/ひとりとひとりだって/わかってしまうんだな 僕ら」、プロポーズ「ねえ これからも ずっと一緒にいよう」

 

意外だったのが、ライブハウスで会おうぜでもひとつになれる場所みたいな書き方はしていなくて、あくまで「僕ら孤独になって 見えない手を繋ぐのさ」1人は1人のままでも他にも仲間が居た程度の触れ方になっているんだな〜と改めて気付いた。

どれもどことなく恋愛っぽいというか何かの情に関する文脈で、一致団結的な「ひとつ」は恐らくアイソレーションが初なのかな。

 

プロポーズの曲中で実際のプロポーズに当たる言葉がずっと一緒にいようだと思うんだが、それ以前に発表された曲にも実は現れていたように、ハンブレッダーズの愛の形は「ひとつになる」ではなくて「一緒に居る」だったのか.....クッ.....奥ゆかしきerotic..... そうかでも「プロポーズ」ってタイトルで最後結婚しようじゃないのは非常に現代的で2人の人間の幸せの形という本質を突いているのかもしれない。SUMMER PLANNINGでのプロポーズも「一緒になりたい」なんだな、そうなるともうファイナルボーイフレンドの「そばにいて」もあたかも結婚というかこれから一生お願いしますな告白じゃん、ホーントムツムロアキラそういうところが大好きなんだからッ  (ファイナルボーイフレンドは友人の結婚式のために書いた云々の文脈があったような気がするけど)(ソースは無い)

でも付き合ってないけどお互いにはちゃんと付き合おって言ってるな〜そこは誤魔化さずにというか直接言うのね。別に一緒にいようって言葉が誤魔化しになってる訳じゃないけど、まだ日本じゃ結婚できないカップルがいるとか結婚だけが幸せの形じゃないことも重々承知した上で、男女に縛られない万民の為の愛情友情にまつわる書き方になっているのが素晴らしいなぁと。そうなんだよなぁ、僕たちはただずっと一緒に居たいだけなんだよな。

 

「判断基準ブレまくり?/最高の褒め言葉だ」

言わずと知れた、ハンブレッダーズのバンドの由来ですね〜

語り手に向かって「お前コロコロ変わりすぎだろ笑」と言われてハイハイ褒め言葉ですって感じか。他人から見たら二転三転しているように見えても、自分の中で筋が通っていれば自分の中で真っ直ぐというように表せるわけだし、周りから見た自分の一貫性を優先するっていう判断基準の方がズレてるのでは?ここにも周りより個人を優先する感じが出ている。

 

君は絶対

「愛してるの一言で片付くような/シンプルな手紙を/回りくどすぎる言い方で/これからも描き殴ろう」

STILL DREAMING「知らなくてもいいことを/ひとつ残らず知りたい」とどこか似てどこか違ったそんな印象がある。STILL DREAMINGの方の歌詞は学問的な立場から共感する研究者が多そう。工学とかパソコン系はもっと経済活動に直結しやすい研究なのだろうが、研究って役立つものだけをすることは出来ないもので、ただ知りたいから面白いからやるものだ。この文章もちったぁ文学系の研究に近いものだと思うけど、これも別に確定申告とかに比べたら必要性は薄い。でも書いてみたかったから書いてるわけで、それはもっと深くまでハンブレッダーズの音楽を楽しみたい、知りたかったからだ(といっても歌詞方向からでサウンド方面は全然考慮できてないのだが)。

一方君は絶対の方の歌詞は、目指すべき答えは決まっているのだがそこまでの経路を探るという営みと表すことが出来て、それは科学とはまた違った行為だ。1つずつ理論を積み重ねて何かに辿り着くのではなく、どうやってその何かに辿り着くかを争う感じ。Then What?とHow?。昔読んだ(内輪ノリ強めで書籍名出すのがちょっとはばかられる)本の記憶によると、どうやらこの形はキリスト教神学に似ているらしい。聖母マリア信仰をするか否か宗派に拠る答えは既に決まっていて、どのようにその答えを正当化するかを学者らは考える、みたいなイメージか。だから神学で今ホットな話題は数百年遡れば絶対昔のブームだった時の文献がある、みたいな論が展開されていた。

思えば、曲のメッセージというのはどの曲もそんなに大きくは変わらないのかもしれない。ハンブレッダーズに限らず、なんなら音楽の歌詞だけじゃなく文学も、あらゆる芸術のメッセージは大きく分類できて、そしてそれらは時代と共に繰り返しているだけなのかもしれない。Y2Kとか分かりやすいか、これはファッションの流行は繰り返すものだという例だが、同じように音楽・絵画もなんとなく同じ傾向を繰り返していてもおかしくないんじゃないか。ロマン主義写実主義つまり理想↔現実という反復はありそうだ。現にハンブレッダーズも作品の大枠の雰囲気としてロマンティック→リアリスティックという流れを踏んでいるとみることもできるのではないか(造り手の心境変化もあるから一概にそうとも言えないけれど)。ラブソングは失恋でも片想いでも色んな歌があるけれど大事なのはその語り方であって、響かないワードセンスの歌にはあまり惹かれない。こう考えてみると、結構結論はおざなりで方法の方が大事になっている場面って少なくないのかもしれないなと思った。

 

 

 

M14 ライブハウスで会おうぜ

「耳鳴りが愛しかった」

口笛を吹くように「響く耳鳴りのせいで」の踏襲。口笛じゃなくても耳鳴りというのはキーフレーズらしくインタビューなどでも見かける単語だ。

まあでも耳には悪いので個人的にはライブ用耳栓をオススメしたいところです。音の面でも低音がくっきりする感じがして良いと思います。耳栓するようになって耳鳴りしなくなったので、ここらへんの歌詞を聞く時は小学生の頃親に連れられて行ったライブハウスの帰り道の耳鳴りを想起して感情移入をしています。というか初めてライブハウス行った時が思い出されるという点では耳鳴りというのはこの曲に相応しい単語なのかもしれないな。初回からそんな用意周到では行かんもんね。

 

「正しすぎる日々の対義語」

この曲は正しくなれないことへの承認をも歌うわけです、M2ギター「正しいことは楽しくないし/楽しいことは正しくないし」も浮かぶフレーズ。月並みだけど楽しいことはやっぱり大事で、周りを気にしすぎるのは良くないって命題に繋がってくるのだと思う。

 

「ヘッドフォンの外にも宇宙があったんだ」

DAY DREAM BEAT「ヘッドフォンの中は宇宙」へのアンサーというか発展というかみたいな部分。他にもハンブレッダーズの曲の中には惑星と書いてほしと読むなど*13宇宙関連語が多いのだが、ここでは宇宙がロマンあるもののメタファーとして描かれているんだな。綺麗で圧倒されて心がワクワクするものといった感じ。言われてみれば確かに好きなアーティストのライブを初めて生で見る時って、銀河の写真を見る時とか山奥で星空を眺めた時とかの印象に似たようなものがあるかもしれない。なんでもiPhoneの窓越しに見れる時代なだけに、*14そういうナマの経験が大事になってくるのだろうなとも考える。

 

 

 

やっと終わった...泣

 

○今後の研究課題は

・ハンブレッダーズ(ムツムロアキラ)の宇宙・夜論

・平常時アクセント(大阪出身も考慮しながら)とメロディの高低比較による聴者の違和感と引き込みに関する考察

・SUMMER PLANNING好きすぎないか引用しすぎだろ一旦恋愛観とでもしてまとめて語っとけ?

・音楽の歴史を知らなさすぎる、クラシックとかまで行かなくてもロックミュージックの歴史くらいは知っておきたいだろ

とかですかね

あと何も関係ないけど予言カードで学ぶ英文法とか普通にやりたい、バカ大変だけど

 

 

 

最後まで読んで頂き誠にありがとうございました。(もし居るのだとしたら)

*1:キェルケゴール『死にいたる病』。“最も深い意味での絶望とは、神の前に立つことによって真の自己になろうとするあり方を拒むことであり、これこそが人間の魂にとって「死に至る病」であると規定し、その克服は純粋なキリスト教信仰によってのみ可能であると説く。”コトバンクより

*2:ネヴィル・チェンバレン、イギリスの首相、ナチス・ドイツに対して宥和政策をとった。

*3:John Lennon「Imagine」等々。1970年前後に目に見える反戦活動をしていたみたい。

*4:「生きててよかった/そんな夜を探してる」

*5:ダン・アリエリー『予想通りに不合理』。行動経済学の本。

*6:中世ドイツの法律にまつわる「都市の空気は自由にする」ということわざから。農奴が領主からの引き戻し要求無しに都市に一定期間住めば自由身分になれた。

*7:ぱんぶれでぇがく前駅に通っている

*8:漫画BLEACHに出てくる藍染惣右介のセリフ。例の如くエアプ。

*9:弱者の為の騒音を「こどものままでおとなになろう」

*10:萩生田大臣のやつ。

*11:allow=許し、forgive=赦し

*12:所与…漢文由来の語で与ワル所とでも書き下すのかな?与えられたもの全般、という意味になって、辞書的には「他から与えられること・もの」(漢文の“所”は場所ではなく、英語で例えればVに付くingで動名詞にする働きを持つ)

*13:STILL DREAMINGの冒頭。「惑星の重力 脱ぎ捨てて」という歌詞表記だが歌う時は惑星を「ほし」と読んでいる。ハンブレは他にもCOLORSでの「色々」が明確に歌と表記との違いを作っている場所として挙げられる。

*14:遠足「今じゃiPhoneの窓越しに社会見学」